ハナシ
西村真里子(ハートキャッチ 代表)×岩城陸奥(ミラコム 代表)×加賀谷のどか(資生堂 宣伝・デザイン部 デジタルクリエーティブプランナー / ディレクター)

美しさを発信する資生堂デジタルの未来

資生堂のクリエーターが、各界で活躍する方々と「美」を語る対談シリーズ。資生堂 宣伝・デザイン部が設立100周年を迎える2016年は、「未来の資生堂デザイン」をテーマに語り合います。今回は、1990年代前半から資生堂が取り組んできたデジタルデザイン、インターネットコンテンツをテーマとした鼎談をお送りします。お招きしたのは元宣伝・デザイン部のデザイナーとして、資生堂デジタルデザインの黎明期を支えた株式会社ミラコムの岩城陸奥さんと、クリエーターたちとともにスタートアップの支援を行う株式会社HEART CATCHの西村真里子さん。資生堂からは、インターネットコンテンツの企画・開発を担う加賀谷のどかが参加しました。ソーシャルメディアが普及し、美に対するアプローチも多様化するなかで、資生堂が目指すコミュニケーションとは何か? デジタルと美を巡る対話をお届けします。

西村真里子
西村真里子(にしむら まりこ)
株式会社HEART CATCH代表取締役。国際基督教大学卒業。IBMでエンジニア、Adobe Systemsでマーケティング、クリエーティブ企業バスキュールでプロデューサー経験を経て、株式会社HEART CATCHを起業。クリエーティブと最新テクノロジー・マーケティングトレンドへの強みを活かして企業の新規事業開発、マーケティング支援、プロモーション全般を手掛ける。エンジニアとして国際特許を取得。バスキュールにて手がけたテレビとスマートフォンの連動番組「BLOODY TUBE」はカンヌ国際クリエイティビティ・フェスティバル2014にて金賞受賞。
岩城陸奥
岩城陸奥(いわき みちお)
株式会社ミラコム 代表。千葉大学工学部在学中からコンピューター関係に関心を持ち、卒業後、トヨタ自動車工業デザイン部に就職。デザイン活動と並行して同社のCADシステムの開発に携わる。1973年に資生堂へ転職し、1995年に資生堂のオフィシャルサイト構築・運営を担当。1999年には公益社団法人日本アドバタイザーズ協会(旧・社団法人日本広告主協会)内に「Web広告研究会(通称「Web研」)」を設立。2001年に独立し、株式会社ミラコムを設立。企業などのコンサルティング、Webサイトのプランニング・制作を行っている。
加賀谷のどか
加賀谷のどか(かがや のどか)
多摩美術大学卒。WebプロダクションにてFlashなどのインタラクティブな技術を使ったWeb広告プロモーションのデザイナー•ディレクターを経験したのち、(株)電通にてデジタルコミュニケーションのプランナーとしてクリエーティブの企画•開発に携わる。スマートフォンアプリなどを用いたメディアプラットフォームの構築を多数手がける。2015年7月より資生堂宣伝•デザイン部に在籍。デジタルクリエーティブ領域の強化に向けて、コミュニケーション設計•企画•開発の推進をおこなっている。

Webサイトはお客さまとのコミュニケーションの場

資生堂コーポレートサイト「サイバーアイランド オブ シセイドー」(1995年)

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岩城さんは、1995年に資生堂がインターネットやデジタル技術をデザインに導入したきっかけを作られた方だと伺っています。その経緯からお聞きしてもよろしいでしょうか?
岩城
だいぶ昔に遡るのですが、千葉大学工学部工業意匠学科(現在のデザイン学科)でデザインとエンジニアリングを学んでいた頃に、初期のCAD(コンピューターを用いて製図や3Dシミュレーション設計を行うツール)に触れた経験が鮮烈で、卒論もデザインへのコンピューター活用をテーマにしました。そして、卒業後はトヨタにデザイナーとして入社しましたが、そこで5年ほど働いた後、個人的な理由で会社を変わり、資生堂に入社しました。ただ、その後もゆっくりとですがCADの研究は続けていました。
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CADは続けていらっしゃったんですね。
岩城
そうですね。入社後はパッケージデザインの仕事を主に担当して、ある年からアメリカの駐在員になったんです。現在名誉会長の福原義春さんは、その当時、外国部部長で美術館巡りがお好きだったんですね。それで渡米の際には宣伝部の駐在員がアテンドする習慣になっていたのですが、私がお供した際に「アメリカではCGを使ったCMが出始めています。資生堂でもぜひやるべきです!」とお伝えしたんですね。そうしたら後日、日本への帰国内示がありまして。
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福原さんの応援で、本格的にデジタルデザインがスタートしたのですか?
岩城
ええ。もともと福原さんはIT分野に強い慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC)の研究者と親交がありましたから、インターネットへの関心も強かったんです。それと1995年1月に発生した阪神淡路大震災も大きなきっかけだったと思います。神戸市の職員が震災翌日からデジタルカメラで撮影した被災地の様子をインターネットで発信し始めて、「インターネットはこれからすごいメディアになるかもしれない」と私の周りでも大きな話題になっていました。そういった経緯もあり、有志のメンバーを集めて1995年10月に「サイバーアイランド オブ シセイドー」というWEBサイトを日英2か国語で開設したんです。1995年は、資生堂を含め、多くの企業がWebサイトを開設し始めた年でもあって、さまざまな意味で日本における企業のインターネット活用の始まりの年でしたね。
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Webサイトを立ち上げてから、社内ではどのような反響がありましたか?
岩城
当時の社内の空気としては、インターネットに対しても推進派・慎重派にわかれていましたし、推進派のなかでも新しい宣伝メディアの一つとしてインターネットを捉えている人が多かったですね。私自身はインターネットを宣伝媒体ではなく、ユーザーとコミュニケーションするためのものと捉えていました。
西村
岩城さんの先見性はすごいと思います。1995年というと、私はイギリスに留学していた頃で、Eメールでやり取りし始めたのも同じ年です。漠然と「インターネットでコミュニケーションが変わる!」とワクワクしたのを覚えていますよ。
加賀谷
実際にWebサイトを立ち上げて、ユーザーからの反応はいかがでしたか? そもそも一般の人でインターネットをしている人も少なかった時代ですよね。
岩城
おっしゃる通りで、アクセス分析してみても、来ているのは同時期にWebサイトを始めた他社ばかりで、一般のユーザーはあまりいませんでした。でも、だからこそ各社が互いの動向を強く意識しあっていたんですね。実は企業サイトでトップページの右側にグランドバナーを置いたのは資生堂が最初なんですよ。各商品ブランドのボタンをずらっと並べて。そうしたら2か月後くらいにはみんなマネするようになった。牧歌的な時代です(笑)。
西村
いやいや、第一世代の空気感がかっこいいです!

共有できるインターネットは効率化にもつながる

岩城
インターネットが始まる前は、ブランド側もテレビ、雑誌、新聞といったメディアしか扱っていないので、インターネットでのコンテンツ制作のノウハウがなかった。教えてくれる人がいないかわりに、上から指図されることもなかったわけです。CADの発想は、商品開発プロセスをいかに効率化させるかというものなので、私もいかに効率的にチームを編成するかを意識していました。CADをベースとしたプラットフォームを作れば、CGもできるし、そのデータをCMにも流用できる。その流れの上にインターネットコンテンツもあって、CADがあることで人も機材もソフトも全部共有できます。
西村
チーム構成からデザインが始まっているんですね。
岩城
そのとおりです。若い人に任せても、ちゃんといい仕事ができるんだなとわかったのも、チームビルディングをしたこの時ですね。大切なポイントは必ず報告してもらうけれど、こちらが全部指示をしなくても仕事を進めることができる人材を求めていました。仕事の勘所が分かる人材ということですね。
加賀谷
優れた人材を選ぶのは前提だとしても、うまくチーム編成できれば、放っておいても一定以上のクオリティーになるということですね。
岩城
一種のエコシステムです。大事なのは「ワンソース、マルチユース」。自分の作ったデータをできるだけ質の良い形で次工程に渡す。そうすることによって工程全体の負荷が減り、若くて経験の少ない人たちも余裕を持って正しい判断ができる。そうゆう流れにするのが管理者の仕事です。だから私の部門の若い人たちは、他の部門と比べてもはるかに多い予算を持って、自律的に仕事をしていました。

CAM(3Dプリンター)の独自開発とジョン・マエダ氏の存在

ジョン・マエダが資生堂のCM制作30周年で制作したポスターとスケッチ

『銀座モダンと都市意匠』展のために制作したCG

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岩城さんが資生堂で制作された作品を振り返っていきたいと思います。銀座の泰明小学校や、開業当時の資生堂パーラーをCGで再現したのも岩城さんのプロジェクトですね。
岩城
1993年に資生堂ギャラリーで開催した『銀座モダンと都市意匠』展のために制作したものですね。歴史的に見ても、資生堂は銀座の街作りに深く関わっているので、こういったものを作ることもありました。
西村
今だったら、ヘッドマウントディスプレーで体感するような、バーチャルな都市表現ですね。
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それから、CAMシステム(現在の「3Dプリンター」に相当するシステム)を独自開発されたとか。
岩城
1990年の頃はパッケージデザインを担当していたので、三次元モデルを作る3Dプリンターは早い段階で取り入れたいと考えていましたね。当時の三次元モデラーは基本的に金型を作るシステムと同じなのですが、金型用の専門ソフトなんて難しすぎて使いこなせなかったし、当時は容量が大きすぎてパソコンにも載せられなかった。そこで簡易な3Dプリンターを独自に作りました。あまり細かい細工はできないけれど、パッケージの試作くらいには使えるもの。デザインした容器を素早くモデルにして手に取ってみる。そして、それを直すというサイクルを繰り返す。今でいうデプロイメントですね。言ってみれば、これもWebサイトの制作の発想に似ていて、Webサイト上なら一度作ってみても微調整や修正が容易でしょう? インターネットだけではなく、デジタル化でできるようになったことは全部やる、という発想で取り組んでいました。
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岩城さんはジョン・マエダさん(マサチューセッツ工科大学メディアラボの副所長、ロードアイランドスクールオブデザインの学長を務めていた、世界的にも著名なグラフィックデザイナー)ともコラボレーションしていますね。
岩城
ジョン・マエダは1990年代前半に、筑波大学の大学院でメディアデザインの研究をしていました。当時、私はNICOGRAPH(日本コンピュータグラフィック協会)の委員をやっていて、そのコンテストに彼が応募してきたんです。作品を一目見た瞬間に「グランプリだ!」と確信したのですが、時代的にデジタル系への評価が定まらない頃だったので、その年はちょっと様子を見ることになりました。それで次年度に再度応募してきた作品がやっぱり素晴らしくて、グランプリに選ばれた。そこからのお付き合いですね。
西村
資生堂とは、どのくらいコラボレーションしたのですか?
岩城
かなり多いです。インタラクティブな作品もありますし、サンフランシスコ近代美術館に収蔵されているものもあります。個人的に印象深いのは資生堂のCM制作30周年で制作したポスター。これは、ジョンにとって初めての印刷作品なんです。この作品の面白さっていうのはなかなか伝わらないんですよね。
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集合知的な発想で作られたグラフィックだと聞きました。
岩城
30年分のCMを一つずつのセルにして、その代表的な色をグラフィックにしました。横にある流曲線は、資生堂ロゴの曲線を分解して並べている。下のバーコードのような列はCM音楽を視覚化しています。
西村
資生堂の30年を一気に可視化しているんですね。
岩城
そうですね。ジョンについて私が非常に感心しているのは、自分のノウハウを囲い込まないことです。例えばデザイン要素のプログラムを自分で作って、オープンソースとしてみんなに提供する。彼が惜しまず提供してくれたことで、日本のメディアデザインの分野が勃興したと思いますし、彼の影響を受けてこの分野に進んだ人も大勢いますね。彼自身も教育に興味があったようで、その後、マサチューセッツ工科大学で教鞭をとって、ロードアイランド・スクール・オブ・デザインの学長になりました。

デジタルやインターネットから「美の追求」を発信する

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話を現在に近づけましょう。西村さんと加賀谷さんは今のデジタルクリエーティブの前線で活動されていますが、岩城さんのお話から感じるところが多くあるのではないでしょうか?
加賀谷
資生堂では1998年頃からメーキャップシミュレーターを開発していて、鏡の前に立つとメークのシミュレーションができる「ミライミラー」のようなリアルタイムのシミュレーターも2005年頃に導入を始め、現在もその開発と改良を進めていますが、その前身になるものを岩城さんが既に開発されていたという話を先日聞いて驚きました。資生堂の原点は「美に関する探求」にあって、そこから生まれるアイデアは時代やニーズの変化と共鳴し合っています。岩城さんがなさってきたことも「時代の変化に対してデザインが何をするか?」という意志に支えられていたと思いますし、それが今の私たちの活動にも継承されている。原点に立ち返ることで勇気をもらうし、もっとがんばらないといけないなと思いました。
岩城
待っていても世の中には変化は絶対に起こらない。誰かがアクションを起こして、それをうまく発信する必要がある。化粧品というある意味でアナログなものを作っている会社がなぜデジタルデザインに注力するのか、不思議に思う人も多くいたし、今もいると思います。でも、そもそも資生堂はさまざまなイノベーションを生んできた会社です。イラストや写真を中心に据えた広告を作ったり、パッケージデザインの分野でもいろいろと先駆的な試みをしています。時代状況の変化や技術革新に対して、常に意識的だった企業です。そういう企業のミームが私のしてきたことを可能にしてくれたのだと思います。
加賀谷
時代と共にデジタルでできる領域も増えてきて、例えば1999年から2003年まで展開していたFSP(フリーソウルピカデリー)というブランドは、空港をイメージした仮想空間を用いたWebサイトを展開していました。2005年に資生堂Webサイト10周年を記念してオープンした「シーズ・オブ・ビューティー」では、自分が想う「美」を語り続けると、「美の種子」に水を与えることでき、花が咲くという、インタラクティビティーを導入していました。シンプルな仕掛けですけど、物語性をWebデザインにプラスすることで、新しい体験を生み出そうとしていましたね。
西村
2003年から展開を始めた「マジョリカ マジョルカ」もFlashを多用して、Webならではの世界観にユーザーを誘っていましたよね。私がAdobeに勤務していた頃に取り組んでいたのが、Flashのコミュニティーとクリエーターの育成だったので、印象深く覚えています。現在、私は「HEART CATCH」という会社を起業して、クリエーターとスタートアップ支援を行っていますが、岩城さんが取り組んできた組織編成やシーンの醸成には強い共感を覚えます。今は、どうしても予算や利益を考えがちな成果主義の時代ですけど、それだけでは育たないものがあるということを非常に強く感じました。
岩城
Web系の企業は効率やKPI(目標達成の度合いを示す指標の一種)にこだわりすぎるところがありますよね。あと、縦割りで考えるのではなく、異なるジャンル、異なる仕事にどう横串を指すかという発想でプロジェクトを進めていかなければならない。そのためには俯瞰的な視点とスタートアップが必要不可欠だと思います。デザインや技術で突出している人にこそスタートアップの機会を与え、お金ではなく個々の才能で協力し合える体制を作ることがとても大切です。
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インターネットの黎明期を支えてこられた岩城さんは、現在のインターネットについてどうお考えですか?
岩城
現在はソーシャルメディアが行き渡ったこともあり、混沌としていて、最初に期待していたところとはだいぶ違う場所になってしまった印象です。そのような状況でも、やはりクオリティーは大事にしたい。そこは「資生堂イズム」だと思うけれど、さまざまな「美」を通じて、社会の質を向上させることに貢献したいと、今でも思っていますよ。
加賀谷
おっしゃるように、現在のソーシャルメディアは難しい時期にあると思います。企業がソーシャルメディアを運用しようと思うと、使用できる言葉の制約が多くあったりして、ユーザーとコミュニケーションを交わすという当初の意図とはそぐわないものになっています。だからと言って、コミュニケーション経路を手放してしまっては意味がなくて、サービスやツールの特性を検証して、使いどころを見極める力が必要になってくると思います。

Webサイト「FSP(フリーソウルピカデリー)」(1999年)Webサイト「FSP(フリーソウルピカデリー)」(1999年)

資生堂Webサイト10周年記念「シーズ・オブ・ビューティー」(2005年)資生堂Webサイト10周年記念「シーズ・オブ・ビューティー」(2005年)

Webサイト「マジョリカ マジョルカ」(2003年)Webサイト「マジョリカ マジョルカ」(2003年)

個々のニーズに応えるソーシャルメディアの時代へ

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「美」を追求する資生堂なら、これまでのメーキャップシミュレーターの考え方を引き継ぎつつ、同時にソーシャルメディア時代のコミュニケーション性を意識したサービスを作ることもできそうですね。
加賀谷
そうですね。資生堂らしくメーク自体を楽しめることに重きを置きつつ、さらにコミュニケーションを誘発するようなまったく新しいサービスも開発してみたいです。
西村
ソーシャルメディアの普及で「美」へのアプローチも変わってきていると思います。人にとって、見られることや応援されることって大切ですよね。例えばInstagramに毎日のメークをアップしている子が「いいね!」の回数が増えることでどんどん可愛くなっていく、なんてこともよくある話。そこで、資生堂アカウントがメークを頑張っている子に「いいね!」をするだけでも、美しくなるための後押しができるかもしれない。あとはYouTuberみたいな人が登場して、一緒にメークレッスンできるようになったのも、デジタルによる「美」の底上げですね。
加賀谷
プラットフォームはどんどん変わっていくけれど、そこに集まるのはやっぱり人間なんですよね。デジタルが人のためのテクノロジーであるという前提は大切にしないといけない。
西村
デジタルが浸透することで大きく変わったのは、一人ひとりにきめ細かくインタラクションできる可能性が現れたことです。昨年あたりから話題になっているIoT(身の回りの製品に通信機能を内蔵し、個人や集団の行動から最適化したサービスを提供すること)も、その一つの事例でしょう。先日、ラスベガスの家電ショーで見たROMY Parisというビューティーのプロダクトが面白かったんですよ。その日の天気やユーザーの気分に合わせて、毎日異なる化粧水を調合してくれるというもので、美のパーソナライズの進化系という感じ。エステに行かなくても「今日の私のためにやってくれている」っていうスペシャル感が、面白いアプローチだと思いました。
加賀谷
「キレイになる」ってその時の気分とか、自分のマインドを上げてくれるものにすごく左右されますからね。今も昔も大事なのはお客さまの利益に繋がることで、「だれに何を提供したいのか」という視点がぶれなければ、楽しい道が拓かれるかもしれない。
西村
みんなキレイになりたいですしね(笑)。しかも最近は、男性も美しくなりたいということを堂々と言えるようになってきた。美の追求が、広く共有できる時代でもありますね。
岩城
かつてのマスメディアは、テレビであれば番組、新聞であれば記事単位で普遍的な情報でしかユーザーのニーズに応じられなかった。でもデジタルだったら個別で二ーズに応じたコミュニケーションができる。それは大きな進歩です。例えば、化粧品を使わずに、ホリスティックな美容が重要と思っている人だっていますよね。そういう人たちを、化粧品を使わないから資生堂のお客さまではないと思っちゃったらイノベーションは起こらない。さまざまな人たちにとって、美しい、快適な、気持ちのいい環境を提供することが、資生堂の役割だと私は思っています。そして、デジタルはその強力な後押しができると思います。
加賀谷
岩城さんがおっしゃるように、まさに今の資生堂は化粧品だけの会社ではなくなろうとしています。いろいろなライフステージがあり、その時々のあらゆる女性の生き方をサポートしたいと思っていて、デジタルやインターネットによる美の追求もその試行の一つ。そして、それは岩城さんがずっと関わってらっしゃったデジタルデザインの延長線上にあるのだと、今日のお話を聞いて確信することができました。先輩たちの世代に負けずに頑張っていきたいです!
西村
それは私も完全に同意ですね!
掲載日 2016年4月
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