ハナシ
セルジュ・ルタンス(イメージクリエイター)×和久井裕史(SHISEIDO GROUP EMEA / SERGE LUTENSパッケージングデザインマネージャー)

21世紀、ブランドの未来をどう開く?
日仏のクリエイターが語り合う「アイデンティティー」の重要性

資生堂のクリエイターが、各界で活躍する方々を招き「美」を語り合う対談シリーズ。今回は、資生堂グループでラグジュアリーフレグランスとメーキャップを展開するブランド「SERGE LUTENS」の創立者にしてクリエイティブディレクター、セルジュ・ルタンス氏をゲストに迎えた。

資生堂とルタンス氏との関係は、1980年まで遡る。それまでクリスチャン・ディオールのアートディレクターに従事していた氏と契約を結び、国際市場における資生堂のイメージクリエイションを依頼したことがきっかけとなった。それ以来、宣伝・デザイン部のクリエイターと協働し、日本(東洋)とフランス(西洋)の融合美を追求している。

対談の相手は、現在パリに駐在する資生堂社員であり、SERGE LUTENSの第6代目パッケージデザイナーとして、フレグランス、メーキャップのパッケージデザインを手がける和久井裕史。2010年から、氏とともに美を追求してきた和久井が、その美学に迫った。ルタンス氏が考える「美」とはどういったものなのか。ものが溢れる21世紀の時代に、美を発信する企業やブランドが大切にすべきものとはなんなのだろうか?

セルジュ・ルタンス
セルジュ・ルタンス
1942年、フランス、リール生まれ。1968年から12年間、クリスチャン・ディオールのメーキャップ商品開発のアートディレクターを務めた後、1980年、資生堂の欧州本格展開時のイメージクリエイションを契機に資生堂と契約。その後約20年間、資生堂のグローバルイメージとビジュアルアイデンティティーを担当した。2000年、自らの名を冠したブランドSERGE LUTENSを創立。2007年にはフランス共和国文化芸術勲章コマンドゥール受章。
和久井裕史
和久井裕史
1975年東京都生まれ。東京藝術大学大学院修了。資生堂入社後、日本国内事業、中国事業、国際事業のパッケージデザインに従事し、2014年SHISEIDO EUROPEへ赴任。2016年SHISEIDO GROUP EMEA (Europe, Middle East and Africa) / LES SALONS DU PALAIS ROYALへ異動後、「SERGE LUTENS」の専属デザイナーとしてフレグランス、メーキャップのパッケージデザインを手がける。

セルジュ・ルタンス氏が「日本」から受けた衝撃

ルタンス氏が1980年に手がけた最初のSHISEIDOグローバル展開用ポスター『A GENERIC IMAGE』

SERGE LUTENSのフレグランスには、それぞれの香りに沿った物語が用意されている

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ルタンスさんと資生堂との出会いは1980年まで遡ると伺いました。
和久井:
そうですね。現名誉会長の福原義春氏から、グローバル市場へ向けた資生堂のイメージクリエイションをルタンス先生に依頼したのがきっかけでした。
ルタンス:
正確に言えば、資生堂、そして日本と私の出会いは1971年になります。当時私はクリスチャン・ディオールの仕事をしており、その関係で何度も日本を訪れていたのですが、大変な衝撃を受けたのを覚えています。もともと旅行好きなわけではなく、新しい国で新しい文化を見い出すことに格別興味はなかったのですが。
和久井:
では、なぜ衝撃を受けたのですか。
ルタンス:
自分のなかに宿っているものと同じ感覚が日本にあることを発見し、それに感激したのです。

当時、資生堂にはヨーロッパ市場に参入したいという希望があった。一方、私の心のなかには、異文化であるにもかかわらず、自分と同じものを持っている日本をもっと知りたいという気持ちがありました。その2つの意志が合致したのです。私の使命は、ヨーロッパを出発点として、資生堂が世界のSHISEIDOとなるためのビジュアルをつくることでした。そこで、私のなかにある日本的なものをさらに濃く凝縮させ、日本を代表するようなビジュアルをつくり上げようと考えました。
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ルタンスさんはどのような思いで、ブランドのイメージクリエイションをされてきましたか?
ルタンス:
私がいつも考えているのは、私たちつくり手は「傍観者」であり、つくり出されるものこそが「主体」であるということ。クリスチャン・ディオールの仕事でも、2000年に始まった「SERGE LUTENS」でも同様ですが、私は卓越したビジュアル、イメージというのは、存在してしかるべきものが具現化されただけであり、人知を使ってひねり出されたものではないと考えているんです。

よく「自分がつくりました」なんていうクリエイターがいるけれど、クリエイションとは生み出されるものに導かれて、向かう先もわからないまま突進して行く先に現れてくるもの。だから「自分」や「私」があってはならない。個人の思考が入ってきてしまっては、クリエイションではないんです。

そうしてできあがったものは強烈ですから、強さゆえに嫌う人もいるかもしれません。しかし、好き嫌いにかかわらず、強い印象は人々の無意識下に残る。イメージとは、美とは、それぐらい強烈なものでなくてはいけません。人々の無意識下に根を下ろす、そういった美を日本のみなさんと一緒に育ててきたと思っています。

日本と欧米の融合により生まれた「蒔絵コンパクト」

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和久井さんは資生堂の社員として、ブランド「SERGE LUTENS」のパッケージデザインを担当されていますね。
和久井:
はい。私は2010年から、同ブランドのフレグランス、メーキャップのパッケージデザインを手がけています。
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資生堂とルタンスさんが協働してつくるデザインには、どのような特徴があるのでしょうか。
和久井:
グラフィック、パッケージ、スペースの各デザイン領域で、ルタンス先生のディレクションのもと、資生堂のクリエイターが手を動かしてかたちにしています。いわば西洋の感覚を持つ先生と、東洋の資生堂の美意識の融合によって生まれる、卓越性の高い美の追求が、SERGE LUTENSというブランドのひとつの個性となっているのではないかと思っています。
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そうした美意識の融合が、蒔絵を施したファンデーションコンパクトなどのデザインにつながっているのでしょうか。
ルタンス:
「融合」は意識して行ったというより、結果としてそうなったという感じですね。蒔絵というものが日本にあるのは知っていたものの、日仏の融合になるからという理由で選んだわけではありません。また、同じくこれに使われている漆の技術も、ヨーロッパには1930年頃に持ち込まれており、フランスの歴史になかったわけではないのです。しかしいずれも、思うイメージをつくり上げるのにいちばん適しており、表現力のある素材だと思ったからこそ選んだのです。
和久井:
私としては、先生の理想のイメージを実現するため、あらゆる可能性を追求して、辿り着いた答えでした。卵の殻を使った蒔絵の技術と現代の3Dプリンターの技術をかけ合わせ、その上に漆を施したのですが、まったく新しい試みだったので、本当に手探りで進めました。こうした新しい表現への挑戦から、新たな美の発見にもつながり、大変意義深い経験でした。
ルタンス:
これから先も、こうした冒険を続けていきたいですね。
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日本の職人の方と一緒に仕事をされるなかで、印象に残ったできごとはありましたか?
ルタンス:
日本には、人間国宝という素晴らしい制度がありますよね。一度、木工芸の人間国宝の方にお会いしたことがあるんです。作品のペーパーナイフを見せていただいたのですが、ふと、その方の手元を見たら、甲がぼこっと浮き出ていて、まるで木の節のようだったんです。そのとき「この人は木とのつき合いが長くて、自分も木になってしまったのだな」と思いました。クリエイターには、まさにそれがなくてはならないと思うのです。

私も写真を撮るときに、女性の美を写しながら、気がつくと自分が男性か女性かわからなくなってしまっていることがあります。芸術とは、そのくらいまで没頭しなくては追求できないものだと思います。かける時間や労力は度外視し、常に完璧を目指して細部に気を配り、完成させる。自分のすべてを捧げる必要があるのです。

SERGE LUTENSが毎年制作する蒔絵コンパクト(2015年版)

「美に国籍はない」。
真に美しいものを選び抜いて完成させるこだわり

SERGE LUTENSの最高峰のライン「Section D'or」のボトル

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フレグランスのプロダクトデザインで印象に残っている二人のお仕事はありますか?
和久井:
私が初めて大きなプロジェクトを完結させた、SERGE LUTENSの最高峰のライン「Section D'or」シリーズでしょうか。表情の異なる包材で3重にボトルを包むデザインで、1つずつ開けてゆく所作を「リュクスな香りの世界への誘い」と捉え表現しました。日本の「折形」や「重ね」の概念を取り入れ、素材に「ちりめん」を用いるなど、和のエッセンスを内在させています。そのパッケージに、先生が創造された神秘的なコンセプトの香りを詰める――この融合によって、ヨーロッパのフレグランス市場にはなかった、新しい価値を示せたと思います。
ルタンス:
ボトルはとてもシンプルな形状ですが、じつは直角の肩部分は、非常に高度な技術によって実現されています。また、黒色のガラスは表面だけでなく、内部までしっかり色が入っていますし、ラベルは金地に金の文字で書きました。売ることだけを考えれば、金のラベルには文字を黒にして目立たせるのが常識。ですが、光の角度で文字が読めたり読めなかったりすることこそが慎ましく、美しい。このように、手の込んだ工夫がいくつも込められています。

折りや重ね、ちりめんといった要素を取り入れたのも、資生堂が日本企業だからではなく、日本にあるものが職人の手、目、心から生まれた真に美しいものだったから。そこに意味があるんです。美に国籍はありません。
和久井:
いまのお話もそうですが、先生との仕事のなかでは、美を追求する姿勢はもちろんのこと、人生の金言となる言葉を多数いただいています。クリエイションをしながら、人生の歩み方も先生から学んでいますね。「個人の手柄ではなく、美が勝利者。私たちは美のために働かなければならない」。この言葉を聞いて、美に従事するクリエイターとして、あるべき姿勢を再認識させられました。

「希少性のあるもの」=「美的価値が高いもの」なのか?

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真の美しさ、芸術としての美を追及する姿勢は、商業デザインと矛盾してしまうことはありませんか。
和久井:
先生ご自身は、「美」を唯一の理想とし、その実現に向けクリエイションをされているので、私も芸術品を創造する気持ちでデザインに取り組んでいます。資生堂では、初代社長の福原信三氏の時代から、芸術を経営資産と捉えてクリエイションに取り入れてきました。これは現在でも「アート&デザイン」という企業ポリシーとして継承されています。芸術性を取り入れた商品づくりができる環境は、とても恵まれていると感じますし、その芸術性は商品の魅力となって必ずお客様に届いていると信じています。
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ルタンスさんが理想とされている「美」というものについて、あらためてお伺いしてもよいでしょうか。
ルタンス:
「美」は、ひとつの概念に当てはめられないものです。私たちの身体を通過して、心に感動を与えるものですが、愛と同じで、誰もそれがなんだかはわからない。いつやってくるのかも、どこへ自分を連れて行くのかもわからない。しかしやってきたときは、驚くほどの衝撃や刺激を私たちに与えていきます。そういった美に、私たちは人生のなかで数限りなく出会う。にもかかわらず、誰も自分が主体となって扱うことはできないまま、美を受動的に受けとめるだけなのです。美とはそういうものです。
和久井:
以前、希少性と美の関係性について話してくださったことがありましたよね。あるものに「希少性がある」というとき、私たちは大抵の場合それを「価値が高い」「美しい」と考えます。例えば明治時代以前の日本では、外国からの舶来品に芸術的価値を見出していました。先生は、希少性と美が一致するものだと考えますか。
ルタンス:
正直、希少価値があることが美と結びついているかは疑問ですね。珍しいもののなかにも、醜いものは存在します。

先ほど、美を追い求めるときには「個」が存在しなくなるという話をしました。エネルギーや時間、自分の人生をすべて賭して初めて、美に迫れる、と。このように、人間がつぎ込んだ執念、愛、情熱、時間、エネルギーが、生み出されたものに魂として埋め込まれるからこそ、価値が生まれると私は思います。先ほどの蒔絵も同様で、和久井さんや手がけた職人たち、さらには卵を生んだうずらまで、関わったすべてのものの魂が盛り込まれている。だからこそ美しいといえるのだと思います。

いまの若い人は薄々気づいている。
薄っぺらなものではもう満足できない

和久井:
先生のクリエイションの土台となる美意識は、過去の3つの体験に強く影響を受けたと伺っています。1つ目は、クリスチャン・ディオールで活躍されていた時代に目の当りにした、オートクチュールの世界。2つ目は、1968年のモロッコとの出会い。そして日本との出会い。この3つから、それぞれどのようなものを受け取られたのでしょうか?
ルタンス:
その3つに共通するのは「ルーツ」です。大量生産・大量消費の煽りを受けたいまの世界では忘れ去られてしまっているけれども、昔はしっかりとあったもの。映画を例にとって考えてみると、いまは残念ながら目先の楽しみにしかすぎません。それに比べ昔の映画には、特殊効果やデジタル加工などはなくても、歴史のなかで受け継いできた、後世に残すべき「核」となるもの、すなわち「ルーツ」がありました。

日本やモロッコには、まだそれが残っていると思うのです。自分たちが自分たちである由縁につながるもの。それを揺るがずに持ち続けていることほど、大事なことはありません。昔のオートクチュールにも、「女性の身体や美に対する忠実」というしっかりとしたルーツがありました。

しかしいまの時代のファッションは、それを失ってしまった。世界中で、「2017年のトレンドはこれ」なんていわれますが、そんなことにはなんの意味もないと私は思います。実際に身につける女性の意見を尊重せず、クリエイターが勝手につくったものを押しつけるだけでは、一時は輝いてもすぐに忘れられるものになってしまいます。
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そんな時代に、美を発信する企業やブランドがすべきことはなんだと思われますか。
ルタンス:
ルーツの大切さには、いまの若い人も、無意識のうちに薄々気づいている気がします。薄っぺらなものではもう満足できず、深いものを必要としている。それがわれわれの生きる、21世紀という時代だと思うのです。そこにいち早く気がつき、自分のルーツに還り本物を見つけ出せない人は、やがて朽ちてゆくのみでしょう。
和久井:
私もこの「ルーツ」の大切さはあらためて感じています。あるブランドを本当に信頼してファンになるということは、ブランドのルーツを理解し、それに共感するということなのではないでしょうか?

欧州のラグジュアリーブランドを見ていると、一般的な広告などの商品プロモーションとは別に、しっかりこの「ルーツ」を世間に伝え続ける姿勢を持っています。例えば美術館でブランドを紐解く企画展を開催すると、平日も行列が途切れないほど人が集まる。皆、そのブランドが現在までどんな活動をしてきて、どれだけ私たちの生活を豊かにすることに貢献してきたかを知ることに、興味があるんですね。そしてそれを知り、一層ファンになっていく。方法はともかく、ルーツを語り続ける姿勢を持つことは忘れてはならないと思います。

ブランドをどう守り、成長させるか?
その鍵も「ルーツ」が握る

和久井:
SERGE LUTENSブランドの個性は明確で、時を経てもそれがブレることなくお客様に届いていると思います。一方で他の多くの企業にとって、ブランドの維持、成長は、大きな課題ではないでしょうか。ご自身の経験から、ブランドはどう守り、成長させるべきとお考えですか?
ルタンス:
ブランドにとっていちばん重要なのはイメージ。ではイメージはどこから来るかといえば、これも「ルーツ」です。そのブランドが生み出された所以ともいえますね。

商品をどのようにマーケティングするか、陳列の仕方や見せ方云々は、本質的な問題ではありません。魂をこめてつくり上げられたものであれば、消費者は本物の価値をきちんと見抜いてくれる。ですから、小手先のことで売れ行きがそう変わるものではないはずです。それよりも、自分たちのルーツはなんなのか、会社を支えている本当の価値はどこにあるのか。それを見い出して、表現していくことが大切だと思います。
和久井:
「ルーツ」とは、アイデンティティーとも呼べるものなのかもしれませんね。それを打ち出していくなかで、周囲の意見や世の風潮と摩擦が起きた場合、どのように向き合うべきだとお考えですか?
ルタンス:
周りの人たちは何かととやかく言います。「これは変だ」とか「これは色が暗すぎる」とか。でもそう言われたら、さらに堂々と個性を出し、色を暗くするのです。そしてそれを繰り返していく。人が批判するのは、自らにアイデンティティーがないからです。だから嫉妬し、アイデンティティーを持つものを、根拠なく叩き潰そうとしてきます。でも、そこで突かれたものをあえて育て、むしろ積極的に用いていく。それこそが、未来を開く鍵になるんです。

周囲に迎合する必要はありません。左右を見たり、人を頼ったりしようとしては駄目。頼りにできるのは、自分たちだけなのです。自分たちが本当に何を売ろうとしているのか、何を起源としてビジネスをスタートしたのか。ブランドの核にある信念を無くしてはいけません。ルーツを大切にし、そこに戻ることこそが大事なのです。
掲載日 2017年12月
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