ハナシ
湯浅純子(資生堂 マーケティング部)×吉田聖子(資生堂 宣伝・デザイン部 クリエイティブ・ディレクター)

ゆずれない想いの交錯が生む、新たな美

資生堂のクリエイターが、「美」を語る対談シリーズ。第7回は、初の女性同士の組み合わせとなります。登場するのは、資生堂 マーケティング部の湯浅純子と、宣伝・デザイン部 クリエイティブ・ディレクターの吉田聖子。二人は、資生堂の歴史において新たな化粧品のあり方を創出した「FSP」「マジョリカ マジョルカ」という両ブランドの立ち上げチームで力を合わせた同志でもあります。ブランドへの強い想いを世に送り届ける力の源に迫ります。

湯浅純子
湯浅純子(ゆあさ じゅんこ)
資生堂 マーケティング部所属。1990年、ビューティーコンサルタントとして入社。1994年に化粧品開発部に異動する。「UVホワイト」「PJラピス」シリーズを担当し、「ピエヌ」「FSP」「マジョリカ マジョルカ」では、ブランドの立ち上げを手がけた。その後、「マキアージュ」「インテグレート」「インテグレート グレイシィ」等を担当し、2014年10月より、再度「マジョリカ マジョルカ」の商品開発・プロモーションに携わる。
吉田聖子
吉田聖子(よしだ しょうこ)
資生堂 宣伝・デザイン部所属。1991年、資生堂入社。コピーライター、またクリエイティブ・ディレクターとして18年間、主に「マジョリカ マジョルカ」「マキアージュ」「ピエヌ」「HAKU」などを通じた宣伝制作活動に関わる。SHISEIDO THE GINZAの立ち上げプロジェクト、コンセプトプランナーを経て、2011年から2年間、店長を務める。2013年からはクリエイティブ・ディレクターとして、グローバルに展開する「Za」などのコミュニケーションを統括している。

化粧品の開発現場は、想いがぶつかり合うリング?

ルージュ アトリエソルフェルージュ アトリエソルフェ

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二人の最初の出会いはいつ、どんなかたちだったのでしょう?
吉田
1990年代半ば、「ルージュ アトリエソルフェ」という商品の開発会議でしたね。複数色の口紅とグロスをパレットに収めたアイテムで、そのデザインについて、湯浅のいた商品開発側と、私の所属する宣伝部側で白熱のバトルが起きまして(笑)。そこで、ものすごい熱意で自分の主張を訴えていたのが湯浅でした。
湯浅
そんな出会いだったかな(苦笑)。その頃は、私もまだ商品開発担当として手探りの状態でしたね。私はもともと販売の場でお客さまの相談に応えるビューティーコンサルタントとして入社したんです。4年目に、本社の商品開発部(2005年にマーケティング部に統合)に行かないか? と声をかけられて異動しました。「やりたいです! でも私、化学式はわかりませんけれど?」「大丈夫、君にそういうのは期待してない」という上司とのやりとりを覚えています。
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「研究開発」というよりは、新たな商品・ブランドの企画・開発に携わる仕事ですね。
湯浅
はい。最初は右も左もわからず、提案書も自分流のポエムのような体裁で形にしていました。ルージュ アトリエソルフェのときも、その特徴・魅力を「目を閉じて、色の奏でるハーモニーを聴いてください」というフレーズで表現していたと記憶しています。多色の口紅をパレット上で混ぜて、多様な色をつくれる商品で、「色と音は調和して美しさを生む点で、通じるものがある」と考えたんです。そこでパッケージもオルゴール風のデザインにしたいと言ったら、宣伝部の考えてくれた別路線とぶつかっちゃったんですね。
吉田
そのころの私は、コピーライターに憧れて入社したものの、上司から言われたことをこなすのに必死で、どこか受け身だったとも思います。そんなときに湯浅の熱意に出会って、同じ社内にこれほどの想い入れで働いている人がいるということを目の当たりにしたんです。私は議論の陣営としては違う意見の側にいたわけですが、こんなに熱く訴える人の話なら、まず耳を傾けてみようと感じました。
湯浅
当時は、自分の行動が部署間の領域侵犯になる可能性など、わかっていませんでした。他にも、自分が開発コンセプトを考えたものと、宣伝部のコピー案のギャップが受け入れられず、原宿で両案を書いたボードを持って、通行人に突撃アンケートをしたこともあります。いわゆる不文律みたいなものも、わかっていなかったんですね。
吉田
湯浅の歴代の上司たちも大変だったでしょうね(笑)。でも、そういう人がいると現場がなあなあにならず、ピリッとするのは確かでしょう。
湯浅
ルージュ アトリエソルフェの件は、結局、開発側と宣伝側それぞれのデザイン案を考慮しながら、ベストな判断をしようということになりました。そうして最終的に、オルゴールをイメージしたあのかたちに決まったわけです。いま思えば面倒をかけてしまったのですが、でも私には、あのかたちにすることがとにかく大切だったわけです。
吉田
私から見ると、会議で何かを「言わされているだけ」な感じの人も多い中、あれくらいの想いで働く人も必要では? という想いが残りました。私自身の内にも葛藤があったからこそ、その姿が響いたのだと思います。私たちの仕事において広く「美の創造」という際も、まず「それがどんな価値を目指すのか」という考えがあるべきなんだ、ということも感じました。
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湯浅さん本人は知らずとも、熱いメッセージになった?
吉田
そうですね。ただ、実はそうした熱い気風は会社のあちこちにあって。今度は私がその商品のキャッチコピーを考えて提出したら、当時プロモーション分野の責任者だった前田新造 (前社長)に直接呼び出されたんです。彼も熱い人で「僕はどうしてもこれは納得できない、申し訳ないが書き直してもらえないか?」と頼まれました。
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お二人ともそうした環境・試練の中で、経験を積んでいったのですね。

ブランド終了の悔しさが、次へのバネとなる

湯浅
私たちはその後、「FSP(Free Soul Piccadilly)」の立ち上げで再び一緒になりました。これは資生堂のいわゆる王道路線とは対極的なブランド。「女の子にとって、化粧はコミュニケーションツールである」がコンセプトでした。まだインターネットの本格的な普及前でしたが、メーカーから販売店、そしてお客さまへという関わり方を超え、より双方向でコミュニティー的な関係を予感し、資生堂もそこへ入っていくべきと考えたのです。改めて、化粧品とは何か? から考え始めた結果、パッケージは効果・機能を伝えるごくシンプルなもので、素っ気ないようで実はユーモアや色気も秘めている、というのを狙いました。いわば愛用品としても身近に置きたくなる、新しい化粧品のありようを目指したブランドだったんです。
吉田
このブランドにおいて、私はコンセプトプランナー的に関わりました。当時つくった資料には「楽しい戦闘ギアシリーズ」「征服せよ」といったフレーズが並んでいます。こうしたブランドのコンセプトを、お客さま向けの物語に翻案していくのですが、同時にこのプロジェクトを理解できないオジさん的感覚の介入は排除する! みたいな気迫もチーム内にありましたね(笑)。ただ、FSPはビジネス面でいくつかの問題があり、短命なブランドとして幕を閉じました。私としてはそこで得たものはすごく大きかったのですが......。
湯浅
確かに、ファンになってくれた人にはすごく愛されたブランドです。パリのセレクトショップも扱いたいと言ってくれたり、後にも各所で「FSPが好きだった」と言ってくれる美容関係者に出会いました。男性ファンも多かったんですよ。顧客満足度調査でも97%という非常に高い値が出て、良い意味で中毒性のあるブランドになった。それだけに、終了は残念でしたね。
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プロジェクトの特徴としては、部署の垣根を超え、コンセプトづくりから開発・デザインまでがなされたこともありますね。
湯浅
はい。開発・試作・宣伝を部署別に担うというより、最初からプロジェクトチーム制で進めた、初めてのブランドだったのでは。
吉田
そうしたことも含め、次こそは成功させなくては、という強い気持ちが残りました。販売終了に合わせて公式ウェブサイトに「さようなら」と表示し、1か月後に完全クローズする作業があって。これに私も立ち会ったんですね。自分たちが生んだブランドを自ら終わらせる初の体験で、二度とあの想いはしたくないと思ったんです。

FSPFSP

マジョリカ マジョルカ、誕生

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そうして挑んだ新ブランドが「マジョリカ マジョルカ」ですね。
湯浅
「即効変身 カスタムコスメ」をコンセプトに、1品1品に他では代わりがないほどの秀逸な機能をもたせながら、「まるで魔法のように変身できる」という世界観を同時に具現化しました。またその際、これを使ってほしい女性として、実在する「アカネちゃん」という女の子をコアターゲットに設定したんですね。彼女はデザインを勉強していて、趣味はこうで、ちょっとした色気もあって......という感じ。出発点において、そのブランドが実際に使われる具体的イメージをチームで共有したことも大きかったです。これを起点にした広がりの中で、可愛くなりたい乙女から、クールでエレガンスな女性まで、みんなのバッグの中に入るアイテムを目指していきました。
吉田
ブランドづくりの出発地点で、最初にビジョンを見つけ、深く掘り下げられるかは重要。「この世界観だから、こういう言葉を選びこういう表現をする」というのをとことん考え抜いてから商品に落とし込みました。魔法というキーワードからの連想で、パッケージの四隅にラテン語をあしらったり、それぞれの効果を表すためにオリジナルの紋章を取り入れたり......。
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アイシャドウやネールの色ごとのネーミングも、「もっと新しい彼の爪」「めしべおしべ」「ゴージャス姉妹」など独特です。
吉田
特に印象深いのは、30日間分の使い切り液体ファンデーションパック。湯浅の発案で30袋すべてに異なるボトルの絵柄と「You are lovely.」「I'm the Queen Tonight !」など日々のメッセージをつけたのですが、これは本当に大変だった(笑)。仲良しチームのように見られていたかもしれませんが、そこは妥協や迎合なしでぶつかり合っていました。
湯浅
イマイチな価値観や表現案をうかつに示すと、同じチーム内でもせせら笑われてしまう......それは絶対イヤ! というような緊張感も常にありました。だから、言ってみれば「戦う仲良し」ですかね。結果として、マジョリカ マジョルカは多くの女性の「女の子マインド」に刺さる魅力を届けられた。そうして今日まで続くブランドになったんです。

マジョリカ マジョルカマジョリカ マジョルカ

反逆ではなく、「新しい王道」を切り拓く

吉田
マジョリカ マジョルカは「みんなに愛される / 嫌われない」といった態度より、積極的に「好きになってもらう」姿勢を打ち出しました。「みんなに」という言葉は聞こえは良いですが、実は「みんな」なんて存在はどこにもいない。そうではなく、自分たちを含めた具体的な女性たちを考えながら取り組んでいました。時代的には、ちょうどブログなどのコミュニケーションツールが増加、浸透してきた時期とも重なり、そうした新しい環境を通じても、ブランドの価値観を共有してくれる人が広がったようにも思います。
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いまもマジョリカ マジョルカは健在で、当初の想定対象だった10〜20代層を超えてファンが広がっていますね。
吉田
担当者も変わっていき、時代による変化もある。ブランドは不変ではいられませんが、それでもマジョリカ マジョルカでは、人から人へ、ある時代から次の時代へ、大切なものは引き継がれていると感じます。それはお客さまにおいてもそうなのかな、そうであるといいなと願っています。
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こうしてお話を聞いていると、お二人は「資生堂の反逆児」的な存在でもあるのでしょうか?
吉田
いえ、むしろ自分たちが資生堂の本道を進もうという想いで、本来この会社がやるべきことを、ずっとやってきたつもりです。
湯浅
私も同感。ただ変わったことをしたい、新しい商品を作りたいということではなく、「新しい価値を見出して、化粧行動そのものを革新したい」ということですよね。
吉田
湯浅さんのいまの言葉、まさに資生堂の企業理念ですね。「多くの人々との出会いを通じて、新しく深みのある価値を発見し、美しい生活文化を創造します」という。
湯浅
ただし、その実現のためには安易に周りに迎合しない、自分に妥協しないということですね。私もそういう試練はたくさんあったし、聖子ちゃん(吉田)も「いまトンネルに入っちゃってる......」と言ってくることがある。つい最近もあったよね、「ブラックホールだ」って。
吉田
(苦笑)。私は基本的に、可愛いものをつくるのに、作り手側が辛そうにしてはいけない、楽しみながら生まれるものに価値があるという考え方です。ただ、必死で考え、つくるほど、暗い穴のようなものに入ってしまうこともある。
湯浅
でもそれって、ただ暗がりに入り込んでいるのでもない。心のひだにまで入り込んで答えを見つけ出そうするからで、その出口もさまざまです。言葉で見つける人、ビジュアルとして見える人......商品開発者ならグラフデータなどで試行錯誤することもある。いずれにせよ、「つくる」ということは、本来すごくパワーを使う行為。
吉田
自分の力量のてっぺんまで頑張って、それでもダメだったという経験も大事かもしれません。毎回、自分の考えを無理に通すばかりでなく「どうしてダメなんだろう?」をとことん悩む経験から得るものもあります。
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たとえば若手社員の参考に、そうした体験を伝えることもありますか?
吉田
ほとんどないですね。こういう体験談って世代が変われば環境も時代も変わる。だから「単純に真似はしないでね、変なことになるよ」とも言いたい。私もコピーライターから始まり、色々な出会いを通していまは全体を見る仕事になりました。これが、1行にかけるコピーライティング一筋だったら、また違う世界だったはずです。だからそう単純ではない。ただ、資生堂という会社は人と人とのつながりは自由に開かれている場です。だからそれを通じて自分のやり方を見つけてほしいですね。
湯浅
それで言うと、私は、こういうのが面白い! といった感覚を研ぎ澄まして、大事にしてほしい。そして、部署や担当の壁を超えても言ってほしい。本当にピンとくるものなら受け入れて、ビジネスの話として会社に提案する方法はいくらでもある。自分の役割を決めてしまわずに、横のつながりを大切にしながら、最後まで意志をもって取り組んでほしいと願っています。仕事が役割間の受け渡し型になるのは良くないと思っていて、必要以上にボーダーを引かなくてもいい。

化粧品は「装い」を超えて人を輝かせる

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ここで、今後の目標を聞かせてもらえますか?
吉田
良かった、昔話だけで終わるのは物足りないなと思っていたので(笑)。私の目はいま、アジア全域に向いています。「Za」などのグローバル向けブランドを担当していることもありますし、さらに言えば今日お話したような考え方を共有できる、つまり日本を超えて共通の価値観で一緒に仕事ができる相手もいるはずという実感があります。
湯浅
私がこの秋から再び関わることになったマジョリカ マジョルカも、いまアジア全域に広がりつつあります。それぞれ背景の違う女の子たちの核をギュッとつかんで、ときめかせることのできる、新しいステージに入っていかなくては、と考えています。そのためにはマーケティングなどに携わる者も含め、新しい価値を共感し合い、高め合えるクリエイティブスタッフと共に創造することが欠かせないと思っています。
吉田
そうですね。5年前、マジョリカ マジョルカに関するアジア地域の会議があり、シンガポールや香港などから担当者が集まったんですね。それぞれ「私たちはこういうやり方でお客さまに魅力を届けています!」と意気投合しました。先日、別のアジア会議で久しぶりに「あなた、マジョリカ マジョルカやってたわよね!?」と声をかけられ、当時の担当数人でまた盛り上がったんです。そのとき、みんなすごくキラキラしていて。こんな人たちがいるなら、どこに住んでも仕事していけるかな? とも感じて、そんな未来が描けるのもまた素敵だと思った。
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自身の活動の場として、資生堂という会社の可能性をどうとらえていますか?
吉田
ここでずっと働いてきたのは、自分に合っていると思うから。つまり、発想さえあれば、それを実現できるパワーや才能が集っている。「プロモーションに大きな旅行鞄を使いたい!」というアイデアを提案すれば、それを有効だと判断した広報担当が手配に奔走してくれたり、担当外の複数ブランドをまたにかける大きな動きだって不可能じゃない。そうしたことを通して、自分のアイデアを実現できる場なんです。
湯浅
当然、外の世界が見たいと出ていった人もいますね。ただ、そういう人も、資生堂での体験を武器に卒業していった感じなんじゃないかな。だから私の世代以降の人たちにとってもそう思える「資生堂」にしていきたいです。
吉田
私も入社からしばらくは、宣伝部の「みなまで言うな」「真似は格好わるい」という気風もあってか、試行錯誤の過程でいろいろ回り道や痛い思いもしてきました。それが、横のつながりを模索し始めたことで自分のやり方を見つけていき、やがて縦のつながりにも生きてきたようなところがあります。
湯浅
横の関係性を拡張するのって、つまり領域・部署横断にもなりますよね。マーケティングをもとに、そこにクリエイティブ担当のアイデアが加わって斬新なものが生まれる。それはその通りだけど、そもそも商品開発やプロモーションの企画担当も創造者であると私は考えています。「売上が何%だから」「今はこういうマーケットが伸びているから」といった発想は誰にでもできる。本当の意味で頭を使うのは、その先ですよね。自分たちのつくる化粧品について、それを使う一人の女の子の人格にまで入り込んで、旅をするような気持ちで考える。そのためには開発者も、表現者としてやっていく必要があります。
吉田
「ブランドをつくる」というのは大変なことで、それをやらせてもらえることに感謝しつつ、今後も自分ならではのやり方を探っていきたいです。女性たちの気持ちにどう寄り添い、また自分の考える「女性性」のゆらぎの中で、どうそれに向き合うか。それは決して単純ではないし、安易に単純化すればすべり落ちてしまうものもある。そこは大切にし続けたいですね。いま改めて、化粧品は単なる装いを超えてもっともっと人の役に立つ、広い可能性を持っていると考えているところです。
掲載日 2014年11月
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