日本刀

継承と挑戦の先へ。

刀匠 吉原 義一
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資生堂トップヘア&メーキャップアーティスト 原田 忠

しなやかなのに、曲がらない。薄いのに、折れない。そして、強いのに、美しい。

そうした相反した言葉で語られる日本刀。太平の時代がつづいても、戦いの方法が変わっても歴史に埋もれることなく、ずっと私たち日本人のそばで特別な存在でありつづけたのは、完成度の高さだけでなく、その性質に日本人が持つメンタリティを投影できることも無関係ではないのではないでしょうか。実際、日本刀は900年以上も前から、姿も製法もほぼ変わることなく、現代まで受け継がれています。

「日本刀はもともと武器ではなく、宝物、美術品でした」と語るのは刀匠・吉原 義一さん。史上最年少で刀作りの最高位「無鑑査」に認められた名工です。今回はそんな吉原さんのもとを、資生堂トップヘア&メーキャップアーティストとして国内外のコレクションで活躍、さらにヘアメーキャップスクールSABFAの校長を務める原田忠が訪ねました。

火を操り、鉄を打つ。900年変わらぬ刀作り。

炭と土の臭いが入り混じる、静かな場所で。

東京都葛飾区、静かな住宅街の中に、現代の日本刀において最高峰を生み出す吉原さんの鍛冶場があります。広さは20畳ほど、微かに炭と土の臭いが漂うそこには鉄を熱する火床が二つあり、その周りに鎚や鉄箸が整然と並んでいます。

「とても綺麗に整頓されていらっしゃいますね」と原田。
「いやいや、そんなことありませんよ」と、吉原さんは笑いました。「鍛冶屋の道具はすべて自分たちで作るんです。鉄を叩く鎚も自分たちの使いやすように手作りしています」
見せていただいた鎚は大きさ、角度が微妙に違うものがたくさん。これらを使い分けて、現代の名刀が作られています。

日本刀の作り方はおよそ900年前から、ほぼその工程が変わっていません。砂鉄を原料にした玉鋼(たまはがね)を細かく砕き、炭素量の多少を一片一片見極めた後、同程度の玉鋼を集め、熱を加えることでひとつのかたまりに再度まとめ上げます。

炭素量の多いものは硬いので刀の外側を包む「皮鉄(かわがね)」に、炭素量の少ないものは柔らかいので内側の「心鉄(しんがね)」として利用。皮鉄、心鉄はそれぞれ熱し、鎚で叩いて伸ばし、折り返す「鍛錬」という過程を何度も繰り返します。これは鉄から不純物をはじき出し、強い鉄へと鍛え上げる大切な作業。

そうして鍛えた皮鉄、心鉄をひとつにし、叩きながら刀の形へと伸ばしていきます。鎚で叩くことで鉄の塊だったものが、この頃にはほぼ刀の形に。表面を削り整え、刃の部分に土を置いてから焼き入れをすることで、日本刀の見所のひとつである刃文が出来上がります。

また刀の姿を決定づける「反り」が生まれるのも、この焼き入れの時。その後、さらに細かな研ぎや、鞘・装具のしつらえ、刀匠の名を刻む「銘切り」などを経て、一振りの刀が完成します。

鉄の色やふつふつと沸く音、ガスや火の色を見極めながら。

今回、吉原さんの鍛冶場で、バラバラだった玉鋼をひとかたまりにする「積み沸かし」と、鉄を叩いて鍛え上げる「鍛錬」の工程を見学させていただくことができました。

お弟子さんたちが準備を整えたのを確認して、静かに火床の前に座る吉原さん。左手にはふいごの取っ手を、右手には先端に玉鋼の欠片を乗せた鉄の棒や火搔き棒を握りました。ふいごをゆっくりと動かすと、まるで動物が低く唸るような独特な音。炭がくべられる場所へとつながる出口から風が送られ、火力を調整することができます。

また、それと同時に右手は玉鋼が崩れないよう、熱が均一に伝わるように繊細に動かします。その様子を食い入るように見つめる原田。その視線に気づいてか、吉原さんが口を開きました。
「炭の温度はすぐに上がります。鉄を熱することを『沸かす』と言うのですが、決して燃えないように、ちょうどいい温度で沸かすことが難しい。鉄の色やふつふつと沸く音、ガスや火の色を見極め、聞き分けて、その温度を探っています」

バラバラだった玉鋼がひとかたまりになると、いよいよ「鍛錬」の工程へと移ります。吉原さんが小さな鎚をカンカンと打ち鳴らすと、3名のお弟子さんが大鎚を手にサッと鉄敷の前に集まりました。そこへ赤く沸き上がった玉鋼が差し出されます。大鎚が振り下ろされるたびに赤い鉄を含んだ火花が弾け飛び、水をかけて水蒸気爆発を起こさせると張り詰めた空気の鍛冶場に轟音が響き渡りました。これは表面の不純物を吹き飛ばすためだそう。何度も何度も叩き伸ばし、縦に切り込みを入れて折り返します。そしてまた火床に入れ、叩き、今度は横に切り込みを入れて折り返します。

繊細に鉄の温度を推し量り、大胆に鉄を打つ。静と動、ふたつの時間を繰り返して鍛錬されます。その回数は一般的に12〜16回。仮に15回折り返すと、なんと32,768という途方もない数の鉄の層が出来上がります。しかし、折り返せば折り返すほどいいというわけではありません。叩き、折り返すたびに鉄は不純物が取り除かれ、鍛えられますが、その分炭素も抜けていき、かえって硬度が失われることに。その回数の見極めもまた、刀匠の感性に委ねられます。

静と動、繊細と大胆を繰り返す濃密な時間。

「鉄を打つときは、チームワークですね」と原田が言いました。「周りで見ている僕たちまで一体になるような不思議な感覚になりました」
「弟子が大鎚を振るとき、私が合いの手のように小さな鎚を鳴らします。これを『相づち』と呼ぶのですが、この強弱などで大鎚を振る速さ、強さなどを指示しています」
刀作りから生まれた言葉は他にもたくさんありますが、『とんちんかん』もそのひとつ。
「リズムよく正しい場所を叩くと『トン、テン、カン』と聞こえますが、タイミングや叩く場所がずれると『トン、チン、カン』と聞こえる。チグハグなことを意味する『とんちんかん』は、ここから来ているんですよ」と吉原さんは笑いました。

語り合うように、素材と向き合う。

鉄を無駄にしない、それも刀鍛冶の矜持。

この日は鍛冶場だけでなく、焼き入れ前の準備や研ぎ、鐔(つば)作りなどを行う作業部屋も見学させていただきました。作りかけの刀、装飾見本、さまざまな材料に、大小たくさんの工具たち……。一つひとつがあるべき場所に収められ、一切の無駄を感じさせません。まるで、それぞれが静かに出番を待っているかのような佇まい。吉原さんがここに座布団を二枚敷いてくださると、即席の対談場所が出来上がりました。取材が決まってからずっと「聞きたいことがたくさんある」と言っていた原田を聞き手としたインタビューのはじまりです。

「今日は本当にいい勉強をさせていただきました。原料の玉鋼というのも、はじめて目にしました」と原田。

「髪をカットするのも多分そうだと思いますが」と吉原さんが続けます。「やり方自体は昔からずっと変わらないじゃないですか。刀も同じで、原料は玉鋼、作り方は沸かして、叩いて、伸ばして。これはどの刀鍛冶も同じです。だけど、仕上がりは一振りとして同じにならない。髪もカットする方法は同じでも、切る人によって仕上がりは違いますよね。そこにやっぱり作り手の感性みたいなものが入るのだと思います」

「髪は、ひと口に髪と言っても、その人の毛質や湿度、体調などにもよってコンディションが全然違ったりします。ベースが悪いと、仕上がりも良くないんです。だからカットする前になるべくそれを癖のない状態にしてから、はさみを持つようにしていますね」

「素材を大切にする点は刀も同じだと思います。刀の場合だと、鍛錬をするときの温度管理がとても重要なんです。鉄を良くするか、馬鹿にするかは刀鍛冶の力量で決まります」
温度が高すぎると鉄が沸くのを通り越して燃えてしまい、温度の上昇が早すぎると芯まで温まりません。その繊細な調整を、吉原さんは五感とふいごを動かす左手を駆使して行います。その姿はまるで生き物と語り合うようで、言葉を超えた鉄との対話を繰り返しているようでした。

「鍛錬の時からすでに仕上がりをイメージされているんですか?」原田の質問は続きます。
「最終の拵えを意識しながら、なるべく研ぎ師が研ぎやすいように、叩いています。とはいえ、必ず途中で予想外のことが起こったりします。それを上手くまとめ上げるのが、刀鍛冶の腕の見せ所なのかな。下手だとひとつ上手くいかないと全部をダメにしてしまう。鉄は金より高価な時代もありました。その貴重な鉄をいかに無駄にしないか、それも良い刀鍛冶の条件でしょうかね」

最高傑作を塗り替える、毎日がその挑戦。

次に作る刀が最高に。毎回がその挑戦。

「毎年、その年一番出来が良かったものをコンクールに出品しているのですが、やっぱり次に作りはじめる時点ですでにもっと良くしよう、ここをこうしようという気持ちになっています」と吉原さん。「次に作る刀が最高になるようにと、毎回が挑戦ですし、そういう気持ちがないと続けられないでしょうね。本当に終わりはないと思います」
現代の刀匠界において最高峰に位置してもなお、毎日が挑戦と語られます。この日、『葛飾の美術家展』に出品されていた吉原さんの最新作を直に拝見するチャンスもいただきました。

吉原さんが作る刀に最も特徴が現るのが、焼き入れの際にできる刃文。オタマジャクシのような形が続く『蛙子丁子』という刃文で、銘切りを見ずとも吉原さん作ということが分かるほど印象的です。
そして、この日はじめて実際に日本刀を手にした原田は、思わずため息がこぼれました。「本当に息を飲むというか……、ここまで美しいと、これで人を傷つけたりしようと思わない、とても静かな気持ちになりますね」
吉原さんは照れたような笑顔を浮かべて、こんなことも話してくださりました。

「挑戦ということで言えば、もうひとつあります。それは日本人の日本刀に対するイメージを変えること。世界で一番日本刀のことを勘違いしているのが、日本人なんです。日本刀は、歴史上武器として扱われたことはほとんどありません。本来は神様に捧げたり、三種の神器に選ばれるなど、宝物であったのです。また、武士の時代にはそれを斬るためではなく、お守りとして持っていました。武器として用いていたのは弓や槍、近代では銃です。戦時中も日本兵が日本刀を携行していたのも武器としてではなく、お守りや身だしなみとしての意味合いが強かったと思います。実際遠くから狙ってくる相手に刀一振りではかないませんからね。

時代劇のチャンバラのイメージが強いのでしょうか、そういう正しい理解を持った日本人はかなり少ないと思います。もっと言えば、日本刀の所持に許可が要らないこともあまり知られていませんよね。そうした誤解を解いて、日本刀本来の美術品としての見方を広め、自分と向き合うお守りのように日本刀と接する人が増えるようにしていくのも、私の挑戦だと捉えています」

日本刀という伝統の中で、「日々挑戦」と鎚を振り続けてきた吉原さん。他者を傷つけるためではなく、持つ人の心を鎮め、純粋たる美術品としての美しさを追求する旅路は終わることはありません。鉄と火と向き合い、静と動の動きを繰り返す作業に生涯を捧げてきたその言葉の隅々には、刀への深い愛情がにじみ出ていました。

「次に作る刀が最高になるように、毎回が挑戦です。
そういう気持ちがないと続けられないでしょうし、本当に終わりはないと思います」

刀匠 吉原 義一

「吉原さんと同じように、最新のヘアデザインが自分史上最高のヘアデザインでありたいと挑戦を続けてきました。
挑戦し続けることは自分との闘いでもあります。
そして、その先に誰かの笑顔が待っているならば、たとえ険しい道でも挑戦する意味と価値はあると改めて思いました」

資生堂トップヘア&メーキャップアーティスト 原田 忠

吉原 義一

刀匠

刀鍛冶として20代の頃より活躍。日本美術刀剣保存協会の「新作名刀展」コンクール初出品にして、努力賞と新人賞を受賞。その後、10年連続で特賞を受賞し、30代という最速の若さで刀鍛冶の最高位「無鑑査」に認定。曾祖父は刀匠番付で「東の横綱」とされた吉原国家刀匠、父と叔父は同じく無鑑査である吉原義人刀匠と武蔵野国住国家刀匠。

原田 忠

資生堂トップヘア&メーキャップアーティスト

資生堂の宣伝広告のヘアメークを中心に、NYやパリ、東京コレクションなどでも多岐にわたり活動。資生堂UNOではヘアディレクターとして商品開発、ソフト情報の作成などにも携わる。2012年4月より資生堂ビューティートップスペシャリストとして活動を開始。2016年、ヘアメーキャップスクールSABFAの校長に就任。同年、アーティスト・布袋寅泰氏とコラボレーションしたシザーがリリースされた。

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