九谷焼

まだ見ぬ赤を追い求めて。

陶芸家 四代 德田八十吉
×
資生堂チーフカラーコーディネーター 相澤 美代子

空の青に圧倒される、朝陽に染まった真っ赤な海に目を奪われる、深緑に囲まれて癒される。
私たちを取り囲む、さまざまな色。それらの一部は、ときに私たちの心の奥に眠る何かを揺り動かします。女性ならば、似合う色のメイクをする、大切な日は好きな色の服で出かける、靴やバッグはお気に入りの色で決めている。そんな人も多いのではないでしょうか。

そんな色の世界に魅せられたふたりがいます。ひとりは資生堂チーフカラーコーディネーターで、資生堂が手がける口紅の95%以上の色を作り上げる相澤美代子。そして、もうひとりが唯一無二の鮮やかな色を操り、世界からも注目を集める陶芸家・四代 德田八十吉さん。色が持つ不思議な力に魅了され、そして自身も多くの色を生み出してきたふたりが出会い、語り合ったとき、ある共鳴が生まれました。今回はそんな旅の様子をご紹介します。

美しい田園風景が広がる、山間の陶房へ。

どの時代も愛されてきた、九谷焼の名家、德田八十吉。

九谷焼。それは緑、黄、紫、紺青、赤の「九谷五彩」と呼ばれる5つの色を中心に鮮やかな色絵が特徴の陶磁器で、2015年には開窯360年を迎えた石川県の伝統工芸。九谷焼の中でも名家として知られるのが德田家です。
初代 德田八十吉は江戸時代の古九谷の模様を蘇らせ、続く二代はそれをさらに独自の画風で発展。そして、先代である三代 德田八十吉は絵柄を見せるこれまでの九谷焼から脱却し、色のみでその世界を表現するという全く新しい試みに挑みます。黄色から緑、緑から紺、紺から紫など、これまでの九谷焼では見られなかったグラデーションを完成させた三代は国内外で高い評価を獲得。1997年には「重要無形文化財彩釉磁器保持者(人間国宝)」に認定されました。

そんな三代 德田八十吉の技、色、そして陶芸に向かう心を受け継いだのが長女であり、自身も「德田順子」の名で活躍していた四代 德田八十吉さんです。三代が生み出した鮮やかな色に、女性ならではの感性を加えることで独自の世界を追求。作品が大英博物館に常設展示されるなど、世界からも注目を集めています。

德田陶房を訪ねる前に、相澤は小松駅からほど近くにある「小松市立 錦窯展示館」へ足を伸ばしました。風情ある木造建築を活かしたここは、三代、四代の生家であり、初代から三代までが九谷上絵付にいそしんだ場所。現在は小松市に寄贈され、歴代が使った窯本体や、古九谷をはじめとする九谷の名品、德田家に関する貴重な資料などが展示されています。

この日は初代から四代までの作品が並んでいました。はじめて間近に見る歴代 德田八十吉の九谷焼。繊細な絵付け、大胆な色使いに、相澤は息を飲みました。
「いや……、本当にすごいですね。作品ごとに全く違う。どうすればこんな風に焼けるんだろう……。色も完成されているように見えますね」

ここで学芸員をされている橋本さんは言いました。「釉薬を何度も重ねて焼き上げる九谷焼は、まるでガラスのような光沢があります。色の濃い部分を覗いてみると、まるで鏡のように自分の顔が映るんですよ」展示ケースの中で威風堂々と並ぶ九谷焼は、照らされる光を跳ね返し、優しく輝いています。外国人観光客の中には土から作った焼き物だと知ると驚く人がいるのも無理はありません。相澤は感動を胸に、四代 德田八十吉さんが待つ陶房へと向かいました。

德田陶房は、小松駅から車を走らせること15分ほどの山間、美しい田園風景が広がる中に佇みます。古い校舎のような、低く、横に伸びる木造の建物で、背後には雄大な山がそびえます。目の前には黄金色の稲穂が揺れ、まるで絵葉書の中に飛び込んだような場所。ここで出迎えてくださったのは、四代ご本人。繊細で気難しい人を想像していましたが、お話をするととてもおおらかで、よく笑い、職人さんたちにもテキパキと指示を出す。小柄で華奢な体から、生命力やエネルギーがあふれ出すような女性でした。

一子相伝で受け継がれてきた、ただひとつの色。

塗り分け、重ね、溶け合う。唯一無二のグラデーション。

まずは四代が陶房内を案内してくださります。「陶芸家の作業場」と言えば、出来の悪かった作品を地面に叩きつけて割り、辺りは陶器の欠片が散乱しているようなイメージ。しかし、德田陶房はすべてが整然としています。窯場には作業途中の作品がずらりと整列し、職人さんの作業台は必要最低限の道具だけが手の届く場所に並べられ、調合済みの釉薬は温度管理がされた棚の中で静かに出番を待っていました。

窯は先代の時代からいち早く、電気窯が導入されています。
「德田の色、特に三代以降のグラデーションの表現は、釉薬が熱で流れることで生まれます。そのためには通常よりも高い、1000度を超える温度を管理できる電気窯が不可欠です」と四代。「三代目の父も最初は二代目の下、旧来の窯で作品を作っていました。しかしあまりに高温を求めるため二度ほど窯を壊してしまい、最後には二代目に追い出されてしまったそうです」ととても楽しそうに話されました。

続いて案内していただいたのが、德田家秘伝の釉薬を調合する場所。ここで特別にその作業を拝見することができました。釉薬の配合はただひとり、後継者にだけ授けられます。どれだけ長く勤める職人さんでも知ることのできない貴重な作業。三代から授けられた古い手帳を片手に、慎重に色ごとの釉薬を調合していきます。
その様子を食い入るように見つめていた相澤が聞きました。
「その色はなんですか?」
「これはベンガラという酸化鉄です」
「あ!ベンガラ!口紅でも使っています。世界中にある口紅のさまざまな色も、元はベンガラをはじめとする9色の色剤からできているんです。試作の際には同じように秤を使って微妙に配合して、目指す色を作っていく。全く同じ作業が見れて、不思議な気持ちです」
嬉しそうに話す相澤を見て、四代にも自然と笑顔が広がりました。

そしてふたりは、四代の作業机へ。そこには塗り分ける釉薬の境を示す墨線が入った本焼き後の壺と、微妙に調合を変えた釉薬が置かれていました。德田八十吉ならではの美しいグラデーションを生む作業は、微妙に濃度の異なる釉薬を塗り分けていくことからはじまります。
德田家が使う釉薬は、焼成前と後で色が変化する「和絵具」と呼ばれるもの。シンアカと書かれた釉薬も薄いピンクがかった茶色をしていますが、焼けば鮮やかな赤となります。四代の計らいで、德田の釉薬を使って絵付を体験するという贅沢な機会をいただきました。

「釉薬にはふのりが入っているので、垂れる心配はありません」と四代。「たっぷりと筆に取って、置くように絵具を乗せていってください」
墨線に沿って、恐る恐る釉薬を乗せいていく……。先を急いで大きく伸ばすと、薄くなります。
「薄くなると色が出ないので、たっぷりと」と四代。相澤の真横でじっと見つめながら、「あ、また薄くなった」「それくらいで大丈夫」「ああ、もうちょっと」と声が入ります。

焦りや短気、結果を急ぐ気持ちは無用。余計な欲が混じれば、あのハッと息を呑むような彩釉磁器は生まれません。四代がお手本を見せてくださりました。これまでの少女のような笑顔から一転、現代を代表する陶工の眼差しに。繊細な筆使いで、均一に釉薬が塗られていきます。
四代はどんなことを考えながら絵付をしているんですか、という質問を投げかけてみました。
「なんだろう……」としばし考えこんで、明るい笑顔に戻ります。「何にも考えてないかも!無心かな」

また、作品作りにおけるインスピレーションの源についても話してくださりました。
「目にするものなら何でも。例えば『瑞穂』と名付けた壺の色使いは、陶房前の田んぼで実りの秋を迎えて風に揺れる稲穂をヒントにしました。代表作のひとつでもある『昇龍』は、父が亡くなったあと陶房の裏を流れる郷谷川の上流から龍になって天に昇っていくような風景を目にしたことがきっかけとなって生まれた作品です」

釉薬を塗り終えると窯の中で焼成へ。そして焼きあがると色が現れて完成……、ではなく、その上に塗り分けの線を微妙にずらしながら、釉薬を重ねていきます。この作業を二度、三度、場合によっては四度と繰り返し、さらに高温で釉薬が流れることによって、境界のないグラデーションに。慎重な作業の連続と焼き物の不思議に触れ、相澤は感動の面持ちを浮かべました。

まだ見ぬ赤と、いつか出会えることを願って。

革新の連続が、伝統になる。

場所をギャラリースペースに移して、相澤が言いました。「私は色を作るところまでが仕事ですが、同じような作業をされている場面が見れて、とても嬉しかったです」
「口紅がそんな風に作られているなんて知らなかったです」と四代。「これまでにどれくらいの口紅を作られたんですか?」

「どれくらいでしょう。最近では年間だけでも二百色くらい出しているので、きっと途方もない数になっていると思います。口紅は基本的に赤い色なのですが、その中でも微妙な調合で色を変えていかなければいけないので、苦労も多いです」
赤。その色に二十年向き合ってきた相澤には、聞きたいことがありました。それは、四代が「自分の色」として取り組んでいる赤について。

「三代が使ってこなかった赤色を四代は積極的に取り入れていらっしゃいますよね。釉薬の調合も新たに開発されて、四代の赤も作られたと聞いています。赤へのこだわりは、どのようなところから来ているのでしょうか?」
「まだまだ全ての赤の表現を手に入れられたわけではありませんが、最近になってようやく自分の赤と言えるような釉薬の調合を見つけられた気がしています。陶房ではそれを『新赤(シンアカ)』などと呼んでいます。これまでの強い赤に比べて、より優しく、女性らしい色合いになっているのではないでしょうか。どうして赤なのか、そこに明確な理由があるわけではありません。父が使わなかった色だから、というのもあるかもしれません。ただ、赤い色には女性らしさと同時に、生き生きとした生命力、本能などを感じます。そういう明るいエネルギーのようなものを表現していきたいという気持ちはありますね」

「口紅やチークで赤を使うのも同じです」と相澤。「ほんの少しだけでも肌に赤を加えることで、生き生きとした明るい表情になります」
四代は頷きます。「うん、そうですよね。だから、やっぱり赤は好きな色」
日本では紅、朱、茜、緋……など、その微妙な違いによって赤色にもたくさんの名前がつけられています。また、朝陽が空を染めていく様子にも、あかつき、しののめ、あけぼのなど、少しずつ違った呼び名が。そうした文化や情緒、歴史も面白いし、大切にしていきたいともおっしゃられました。

そしていつしかふたりの話題は、ものづくりの情熱についてへ。
「化粧品は法律などで使える成分が厳しく定められています。肌に直接つけるものだから当然なのですが、日本で認められている材料を使って、口紅で鮮やかな赤を出すのが難しいんですよね」と相澤。「それでも求めていらっしゃるひとがいて、自分もその時々のベストを尽くすのですが、やっぱりまだまだ満足はできていません。どこまで彩度の高い赤を口紅で出せるか。その挑戦はモチベーションになっています」
「ものを作るひとにとって、満足ってないと思います」四代が続けます。「完成した瞬間にやった!と思えることはあっても、次にはもう新しい目標ができているはず。それがないと、長い間ものづくりに携わることはできないのではないでしょうか」

九谷焼の再興に力を尽くした初代、画風の刷新に取り組んだ二代、「耀彩」という新境地を切り開いた三代、そして、自分らしい彩釉磁器の探求を続ける四代。名家にありながら、それぞれが現状に満足することなく歩み続けたからこそ、いつの時代も愛されてきた。『德田八十吉』というブランドの魅力を再確認できた瞬間です。

最後に四代はこんな言葉を残してくれました。
「革新の連続が伝統になる。それが代々続く德田の思いです。私自身、これからも赤の研究を続け、私の作品を求めてくださる方がひとりでもいらっしゃる限り、挑戦していきたいと思います」

「三代が唯一使わなかったのが赤。
女性として、その色を極め、
自分の色にしていきたいと思っています」

陶芸家 四代 德田八十吉

「四代にしてなお、まだ完成できない赤がある。
それを知って、気が引き締まりました。
いつの日かまだ表現できていない赤い口紅を作り、
世界の女性を笑顔にできたら幸せです」

資生堂チーフカラーコーディネーター 相澤 美代子

四代 德田八十吉

陶芸家

父であり重要無形文化財彩釉磁器保持者(人間国宝)でもある三代 德田八十吉の指導のもと、耀彩技術を学び、絵付けの手技・手法を受け継ぐ。三代から受け継いだ色調をベースにしながらも、女性らしい色使いが印象的。逆焼という独自の焼成法で作った作品「昇龍」が大英博物館ジャパン・ギャラリーに常設展示されるなど、海外からも高い評価を得ている。

相澤 美代子

資生堂チーフカラーコーディネーター

1978年、資生堂に入社。口紅の製造、製品検査などを経て、現在は口紅の色調の開発を行う。クレ・ド・ポー ボーテをはじめ、SHISEIDO、マキアージュなど資生堂が世界で発売する口紅の95%を担当し、年間200色以上の口紅を手掛けている。

ページの最上部に戻る