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資生堂トークセッション「美しき挑戦者たち」vol.3
作家 桐野夏生 × キエフ・バレエ プリマバレリーナ 田北志のぶ
ロシア、ウクライナでの生活
桐野 ウクライナではいろいろと苦労されたんでしょうね。
田北 ええ、数えていたら多分、生きていけないと思います(苦笑)。
桐野 向こうに渡って何年ぐらいになるのですか。
田北 最初はモスクワに行って、ボリショイのバレエ学校に入りました。1991年のことですね。学校を卒業してキエフ・バレエに入ったのが1993年でしたから、もう20年以上になりますね。
桐野 ソ連が解体して混乱していたころ?
田北 そうです。とにかく食べ物がなかったですね。それこそ紅茶に牛乳を入れたくても、なかなか手に入りませんでした。先生のお祖母さまが朝5時からお店に並んで、ようやく手に入れてくれたんですが、開けたら腐っていた……そういう時代です。
桐野 そこまで……。
田北 サラダがキュウリの輪切り1枚だけとか、本当にありましたよ。白パンは本当に貴重で、それに無塩バターがあれば最高のご馳走でした。
桐野 つらいご経験でしょうか?
田北 不思議と私はつらいと思わなかったんですよ。バレエが好きだったから。行く前も親は心配していたんですけど、私はちっとも怖くなかった。
桐野 ボリショイからキエフに移ったのはどうしてだったのでしょうか?
田北 モスクワに残らないかって話もあったんです。だけど、キエフの街が好きだったんですね。緑が多くて、こじんまりしていて。日本人でキエフにいらっしゃる方は、みんなすごく好きになって帰りますよ。それぐらい魅力的な街なんです。石畳の街並みのあちこちに歴史的建築物があって、5月になるとライラックが一面に咲いて、すごくきれいです。
桐野 いまウクライナは政治情勢が不穏ですけれども、キエフでの生活は大丈夫ですか?
田北 2月は朝から晩まで、テレビで独立広場の争乱をずっとライブで流していました。それでも私は毎日劇場に通っていましたけど。
桐野 危険な目には遇いませんでした?
田北 大丈夫です。日本の外務省から注意のメールが来て、大使館からも安否の確認は何度もありましたけど。
桐野 バレエ団自体が影響を受けるようなことは?
田北 直接にはないです。ただし、公演が3日間だけ中止になりました。警官とデモ隊が衝突して死者が何十人も出てしまったときです。広場は劇場から10分ほどの距離なので、ずっとサイレンが鳴りっぱなしでした。
桐野 それ以外は続けられていたんですね。
田北 大変でしたけどね。メトロが止まって、観客が30人しかいない日もありました。オーケストラの団員も来られなくて、テープで音楽を流して踊った日もあります。
入り込む瞬間
桐野 舞台で踊ってる間は、どんな精神状態なのでしょう。
田北 難しいテクニックがあるときは気をつけたり、リハーサルのときに言われたことを思い出したりもしますけど、基本的に私の場合は役に入っています。ただ、入り過ぎちゃって失敗することもあるんですけどね。
桐野 客観性がなくなる?
田北 ええ、ちょっと手前で抑えておかないとだめですね。ハマると気持ちはいいんですけど、周りから見た出来はいまひとつだったりします。逆に自分ではあまりよくなかったと思っても、周りが評価してくれたりすることもあるんですけどね。小説を書くときに、入りすぎてしまうことってありませんか?
桐野 ライターズハイになることはあります。いまは連載で細切れだから入りにくいんですけど、書き下ろしをずっとやっていると、やはり陶然としてくることがあります。
田北 フワァーッとなってくる感じですか。
桐野 しょっちゅうアイデアや台詞を書き留めたりして、もう興奮して眠れなくなってしまうんです。何ヶ月も睡眠が2〜3時間ということもあります。没入していると、とんでもないことを考えついたりもするんだけど、田北さんが言うように、行きすぎる前に止めないと、小説の世界に入ってしまって戻ってこられなくなる。そこのバランスは難しい。
外国人プリマのプライド
桐野 バレエダンサーにとって一番大切なものって何ですか?
田北 ここまでやってきて思うのは、「自分を知ること」ですね。
桐野 一番難しいことですよね。
田北 そうですね。でも、私はいつも客観的に何が自分の強みで、何が弱みなのかということを考えてきました。
桐野 自分を見るのってつらいことでもありますよね。かなり客観的な目を持っていないとできない。ただ、自分を知ることができれば強い武器になる。
田北 だから結局、他人との競争じゃなくて、自分に勝つことなんですよね。
桐野 自分に挑む。それは、小説家も同じです。
田北 そう、挑む。バレエ人生を歩む中で、それはいつも感じてきました。だから、これから教える側になったときも、「こうしなさい」ではなくて、客観的に見て、その子のいいところをできるだけ伸ばして、個性を見つけてあげたいと思っています。
桐野 日本の教育って悪いところばかり指摘されるから、セルフイメージが低くなってしまうんですよね。まんべんなく平均点を取ることが求められて、出る杭は打たれる。
田北 反対に私は個性的な人が好きなんですよ。とにかく面白い人が好き。
桐野 わかります。田北さんがロシアに行かれたっていうのは、そういうことも関係しているんでしょうね。
田北 日本にいたらきっと全然違う人間になっていたと思います。ロシアに行った当初、「あ、自分は猫をかぶっている」と感じたんです。猫どころか熊の着ぐるみをかぶっているっていうぐらい萎縮しちゃって、言われることにすべて「はい」しか言わなかった時期がありました。でも、このままじゃ自分が潰されちゃうと思って。
桐野 着ぐるみを脱いで。
田北 まあ、脱いだら脱ぎ過ぎちゃったみたいなところもありますけどね。ずいぶん強くなってしまいました(笑)。
桐野 でも、そのぐらいじゃないと外国人プリマとしてはやっていけませんよね。
小説家としての挑戦
田北 私、キエフで桐野さんの『OUT』が出てすぐに読んで衝撃を受けたんですよ。ああいう作品を書くときって、すごい葛藤があるんでしょうね。
桐野 小説家というのは、自分が何者かを見つめる仕事。でも、作品に自分が表われるというのはものすごく恥ずかしいんです。『OUT』でも、死体を解体するシーンを書くのは、精神的に追いつめられました。小説家が自分の頭の中を知られることは、まるで裸で荒野に立ってるような感じさえします。
田北 バレエダンサーが舞台に立つときもそうですよ。
桐野 たぶん似た感覚なんでしょうね。私の場合、『OUT』を書いたあたりで、それを乗り越えたんですよ。「自分が表われても、それは個性としてやっていくしかない」と開き直れた。ただ、直後に『OUT』で描いたのと同じような事件が立て続けに起きて、社会の無意識のようなものを自分がすくい取ってしまったのかなという恐怖を感じました。でも、それは時代を生きていることの証でもあるわけだから、やはり限界まで表現していかなきゃいけないと思う。
美しい人とは
田北 心が美しい人は、やっぱりきれいだと思うんです。心が澄んでいる人は、表にも出てきますよね。そういう人は歳の取り方も違います。
桐野 私はあらゆる意味で、闘っている人は美しいなと思いますね。
田北 桐野さんは、闘っている女性をずっと描いていますよね。
桐野 いま女の人の生き方って、けっこうつらいんじゃないかなと思うときがあるんです。彼女たちはそれをなかなか言葉にして訴えることができない。だから、私は言葉という表現を使って、なるべくその苦しみから彼女たちを救いたいという気持ちがあります。ちょっと大げさな言い方だけれど。
田北 ひとりの読者として、桐野さんの小説にはそういう強い力があると思います。だから、今回はお会いできて本当にうれしかったです。
桐野 私にとって田北さんは、バレエダンサーというだけで尊敬の対象です。キエフ・バレエのような名門で、外国人としてプリマをやっていることの凄みが伝わってきました。きっと口には出せない大変なこともいろいろあるんでしょうね。
田北 そのあたりはまた今度ゆっくり(笑)。
桐野 ええ、ぜひまたお話ししましょう。