企業広告

縮小
縮小
2016年2月 雑誌広告<br/>ONE on ONE<br/>「いい顔」に迫る対談企画、スタート!
2016年4月 雑誌広告<br/>ONE on ONE<br/>ゲスト:野村忠宏(柔道家)
いい顔に迫る資生堂クロストーク「ONE ON ONE」vol.6
バドミントン選手 奥原 希望 × 女優 二階堂 ふみ
プレッシャーを力にする
二階堂 私たち同学年ですよね。
奥原 はい。私は1995年なので早生まれですけど。
二階堂 じゃあ、同じような音楽を聴いたり、テレビを観たりしてきて、きっと。
奥原 私の場合、小さいころからずっと競技一筋だったかもしれません。
二階堂 そうなんですね。バドミントンをはじめたきっかけは何ですか?
奥原 父が高校でバドミントン部の顧問をしていて、私の子守りを兼ねて、よく練習に連れていってくれたんです。まず兄がやりたいと言い出して、家族といっしょにはじめました。
二階堂 それから小中高とバドミントンに打ち込んだんですね。
奥原 はい、高校はバドミントンをやるために県外の学校へ進学して。
二階堂 すごいですね。早くから注目されてきて、おそらくプレッシャーもあったと思います。まわりの勝手な期待みたいなものとか。
奥原 ありましたね、はい。
二階堂 そういったプレッシャーや期待をどう受け止めていましたか?
奥原 自分がなりたいと思う選手像をイメージした時、むしろプレッシャーを掛けられる存在にならないといけないのかなと思っていました。だから事前にイメージトレーニングをしてきて、実際にプレッシャーがかかる場面に出会うようになっても驚きませんでしたね。あ、これでいいんだって。
二階堂 それをパワーにつなげていったんですね。
奥原 もっともっとかけてほしいと思っています(笑)。
二階堂 私は逆です。まわりの期待を感じれば感じるほど、「もうイヤだ!」と思ってしまって(笑)。そういう精神状態で戦える人は素晴らしいです。
奥原 レスリングの吉田沙保里さんは勝って当たり前という周囲の視線を浴びながら、その中で戦ってきた精神力が本当にすごいですよね。だからこそ多くの人に好かれるんでしょうし、そういう選手になりたいと思います。
怪我をしても立ち止まらない
二階堂 ほかのことをやりたいと思った時期はありませんでしたか?
奥原 普通の女の子になりたいと思った時期はありますね。
二階堂 その時はどんなことがしたかったんですか?
奥原 放課後に友達と遊んだりとか、そういったことです。小学生のころから、放課後は毎日練習場へ通っていたので、本当に遊んだことがなくて。
二階堂 へえー。
奥原 高校は長野から埼玉に出たので、休日になると友達にいろいろと連れていってもらったりしたんです。初めてカラオケへ行ったのも高校の時。でも基本的に放課後はすぐ練習でした。高校の最後に怪我をして、初めて放課後に友達とトランプをしましたね(笑)。
二階堂 でも大きな怪我だったんですよね。その時の心境はどういったものでしたか?
奥原 最初はそれほど重い怪我だと思わなかったので、放課後に練習をしないで友達と遊べるのが嬉しくて(笑)。神様が休息時間を与えてくれたのかと思っていたんです。でもどんどん不安が押し寄せてきたんですね。なかなか治らないし、手術を受けるというところまで発展していったので、放課後に楽しんでる場合じゃないなって。
二階堂 やっぱり辛かったですか?
奥原 もちろん怪我は辛いんですけど、何が一番辛かったかって、やることが少なかったのが辛かったです。
二階堂 ああ、怪我の痛み以上に。
奥原 リハビリの段階で炎症しないように、私にはわずかなメニューしか与えられなかったんです。いつもなら1日中練習をして、レベルアップを実感できるんですけど、初期のリハビリメニューはただ足を上げるだけとか、足を曲げるだけとか、普段の生活に戻るための初歩的なものだったんですね。だから1日の大半はベッドの上で寝ていて、その間にライバルたちの活躍が耳に入ってきて、どんどんマイナスなことを考えたりとか。
二階堂 うんうん。
奥原 ほかの競技も同世代の子は強いんですけど、バドミントン界も世界的に自分たちの世代が活躍しているんです。私が高校を卒業した翌年、同い年の選手が史上最年少で世界選手権を制覇して、それなのに私はまだ復帰できない状況だったので、立ち止まってる場合じゃないなって。
二階堂 じゃあライバルたちの動向は、マイナスに働いただけでなく、刺激にもなったんですか?
奥原 そうですね。
二階堂 同世代の活躍を見て「立ち止まってる場合じゃない」と、その刺激を前向きな力に変えられたのは奥原さんの強みですね。
奥原 もともと負けず嫌いなので、私も負けていられないなって気合いが入りました(笑)。
二階堂 私はよく母に負けたくないなと思います。自動車の運転免許を取る時、母の世代はマニュアル車しかなかったので、オートマ車の免許を取るなんてカッコ悪いと言われて(笑)。
奥原 それでマニュアルの免許を取ったんですか?
二階堂 はい、マニュアルです。
奥原 すごい! 私もマニュアルを取りました。
二階堂 母のほうがもちろん知識も経験も豊富なんですけど、なんだか悔しいなという気持ちがあって。くだらない話で申し訳ないですけど(笑)。
奥原 私も同じです。小学生のころ、父がバドミントンを教えてくれていたんですけど、経験者ではなかったので、無謀なメニューを課してくるんですね。でも父に負けたくなかったので、その一心で練習していたことがあって。すごく似ているなと思いました。
二階堂 全然レベルの違う話ですみません(笑)。でも負けず嫌いで、自分もがんばらなきゃと思っている人はカッコいいです。
今できるベストを尽くし続ける
二階堂 その後、国際大会で優勝されたり、オリンピックでメダルを獲られたりして、見事に怪我を克服されましたよね。
奥原 いろいろな人の力を借りて復活することができました。もし怪我がなければ、体を見つめ直すこともなかったし、それによってプレーの幅が広がることもなかったので、怪我をして本当によかったです。
二階堂 世界を体感した時、それまでとは違うものが見えてきましたか?
奥原 怪我をする前は世界が遠かったんです。でも復帰したら、思ったより世界は近いなと感じて、もっともっと行けるんじゃないかと可能性を感じました。2年連続で怪我をした時は、リオ五輪に間に合わないと思っていたんです。でも目の前のことに取り組むしかないと思って、その中で試行錯誤していたら、いつの間にか今いる場所にたどり着いて。
二階堂 世界をめざしてトレーニングしていたわけではなく、日々を見つめることで世界がバッと開けてきたんですね。
奥原 はい。だから楽しかったです、ここまでの道のりは。
二階堂 国際大会やオリンピックの舞台に立つと、日本中の人たちから身近な友達のような距離感で声援を受けますよね。任せたよ、みたいな感じで。選手のみなさんはどういう気持ちなんですか?
奥原 私は初めてジュニアの日本代表に選ばれたのが中学2年生の時で、ずっとそれが当たり前だったんですね。でもリオ五輪は規模が違いました。凱旋パレードにあれほど多くの人が集まってくださるとは想像していなくて。地球の反対側で、時差がまるまる12時間ちがう中、一喜一憂しながらみなさんが応援してくださったと思うと嬉しいですし、力になります。
二階堂 ほかに何か力になっているものはありますか? ほかの趣味とか。
奥原 オフの日は積極的に外に出て、ウィンドウショッピングをしたり、美味しいものを食べに行ったりしていますね。
二階堂 乙女な一面ですね(笑)。生まれ変わっても、またバドミントンをやりたいですか?
奥原 前はごく普通の生活に憧れていたんですけど、今は生まれ変わってもバドミントンをやりたいです。
二階堂 素敵ですね! 結婚は考えますか?
奥原 高校の時、50年先まで人生のプランを立てる授業があって、その中では28歳くらいで結婚している予定なんですね。でもほど遠いです(笑)。
二階堂 あはは。まずは東京オリンピックですね。
奥原 はい。2020年は25歳なので、経験を積んで選手として一番いい時期に差しかかっているはずなんですね。リオまでの道のりと同じように、毎日の積み重ねが大事だと思うので、今できるベストを尽くせば結果がついてくると信じています。
二階堂 頼もしいです。私も応援していきたいと思います。