第6回 shiseido art egg/審査結果

審査実施報告

資生堂ギャラリーは、1919年のオープン以来「新しい価値の発見と創造」という企業理念のもと、90年以上連綿とその活動を継続してきました。shiseido art egg(シセイドウアートエッグ)は、その長きにわたる活動の一環として、発表の場を求める新進アーティストの皆さんに、広くギャラリーの門戸を開放する公募制のプログラムで、今回で6回を迎えます。
本年は、全国各地より314件の応募をいただき、全体の80%を10代~30代の方が占めました。
そのなかで、長時間に及ぶ審査の結果、独自の発想力や、次代につながる表現が評価されたthree、鎌田友介、入江早耶の3組が入選となりました。

審査概要

応募受付 :  2011年6月1日~15日
応募総数 :  314件
審査員 :  岡部あおみ(美術評論家/資生堂ギャラリーアドバイザー)
水沢勉(神奈川県立近代美術館館長/資生堂ギャラリーアドバイザー)
資生堂 企業文化部

審査員所感

岡部あおみ(美術評論家/資生堂ギャラリーアドバイザー)

10代から70代までの幅の広い応募者の企画の中には、東日本大震災後の時期ということもあり、少数ながら震災や原発問題にかかわる提案が見られた。震災への意識には地域差、さらに知覚や認識の変化が作品制作にどのように反映するかの個人差もみられる。今回選抜された2人と1ユニットは、異なる立場とアプローチとはいえ、こうした現状に向き合おうとしている姿勢に共通点がある。
ところで、最後まで審査に残りながら落選したあるカップルの企画に関して気になった点を述べたい。死の床、寝床をテーマとして初めて手掛けたという心に残るプロジェクトだったが、当然キャリアを示す作品がない。新人など制作経験の浅い人たちも同様で、みなポートフォリオは手薄だ。その分をカバーするには、明解な作品の説明、念の入った展示コンセプト、オリジナルな会場プランを通して、完成した展示空間がどのようになるかを提示できるように、想像力を羽ばたかせることが重要である。それを納得できる形にできれば、年齢を問わず、魅力的な作品と刺激的な展示力によって、初めてのプロジェクトや作品でも取り上げられる可能性は十分にある。
与えられた空間で作品をベストの方法で公開し伝えられる技量を、一種のインスタレーションだと思えば空間づくり自体が創作になる。展示をキュレーターの仕事として放置せずに作品制作と同レベルで取り組むことが現代では不可欠だろう。遠路の方々は困難だと思うが、資生堂ギャラリーのスペースを見たことがないまま応募する人たちは展示プランに難点を残すことがある。
新たな応募者はもちろんのこと、再度プロポーザルを考案して、さらなる挑戦をしてくださる熟練の方々にも心から感謝を申し上げたい。展示案を変えるだけではなく、1年ぐらいのスパンでは無理かもしれないが、作品自体の新たな展開面を強調する方針をとれば、より強い説得力を持ち得るのではないだろうか。

水沢勉(神奈川県立近代美術館館長/資生堂ギャラリーアドバイザー)

開高健の絶筆『珠玉』の冒頭の一篇「掌のなかの海」で、「知恵の悲しみ」が語られている。青年時代にロンドンで味わったフィッシュアンドチップスの味は、美食を追求してきた著者が、永い歳月を経て、同じ店を再訪した時には、なんとも味気ないものに感じられたのだ。
悲しみは、もはや美味しくないと感じたことではなく、自分の感覚は不変ではないことを知らされたことに起因するのであろう。永井荷風も初期の佳品『歓楽』の冒頭、もはや青春のときを失い泣くことができなくなったことを語り手に仮託して嘆いていたではないか。
すべての感覚を研ぎ澄まし、清冽に感じ取ることは、青春の特権であろう。しかし、老いと死を先取りして感じ取るのも、その特権の一部であるという逆説にこそ、合理と功利の追求に終始し得ない芸術という表現の機微が隠されている。
今回の審査にあたって、飛躍的にファイルづくりがうまくなり、意図するところが以前よりもはるかに伝わる応募者が多かった。が、皮肉なことに、シミュレーションとは奇妙なもので、いかなるかたちであれ、完成度が高いとそれ以上のものを期待しなくなる。どこか不全を抱えること。それは、堰きとめられた生の行き場のなさを可能性へと転ずるという力業にどこかで通じているはずだ。そのような生死を越える射程を制作の行為に先取りしている作品に出会いたいという渇望が、スマートなプレゼン資料の数に反比例するように、わたしのなかにうごめいたのである。
「二十已心朽」(李賀)。わたしの心は20歳にもう朽ち果ててしまった。 —— そう囁きかける作品がもっともっと現れて欲しい。

入選者

three
three 作品
「Tokyo Surge」2010

three

インスタレーション
展覧会会期:2012年1月6日(金)~29日(日)

1986 福島生まれ
2009 three 結成

対比と変質を製作過程や行為との関係を重視し表すことを心がけています。今回、震災等の様々な環境の変化を経てアップデートした作品を展示します。ひとつは訪れた方々が実際に作品に触れることのできる参加型の作品です。是非沢山の方々に参加・体験していただけたらと思います。

審査員評

岡部あおみ

25歳の福島県出身の男性3人組。幼馴染か学校の同窓生だろうか。ユニットとして活動を開始してからまだ3年ほどだが、去年は旺盛な制作力でフィギュアを集積し切断したりする先鋭な立体を展示していた。フィギュアを素材にしながらも、マイクロポップなどの流行へのクールな距離と社会へのクリティカルなまなざしに惹かれた。
福島市が活動拠点なので被災しただけではなく、さまざまな側面で震災や原発の直撃を受けているのだろう。震災後長らく新作を見ることができなかった。今回の提案は初期作品を発展させたインスタレーションで、お弁当などについてくる小さな醤油さしを壁面状の立体に無数に貼り付け、都市のイメージを投影するという初めての試みである。これまでは楽しくカラフルなインクが入れられていた醤油さしだが今回はからっぽ。そこに映写される東京の雑踏と群衆はどんな表情で風景を表すのだろうか。
映像というメディアがはらむ幻想性のからくりと観客のリアルな身体的実在を対比させる展示になる予定である。

水沢勉

福島に拠点を置く3人のメンバーによるユニット。醤油さしのようなレディーメードの小さなオブジェの反復によって、日常的な基本的なアイコンを立体として作りだし、観客も参加し、その結果、その造形が変化していくプロセスも作品に取り込むことを試みている。「(おびただ)しさ」は現代のキーワードのひとつであろう。マルティチュードは、わたしたちの希望であり、同時に絶望ともなりえるからだ。中心性が保障されないことは解放であるが、別の角度からみれば、不安の原因にほかならない。宇宙飛行士は、複数で旅たつとき、最小でも3人を単位とするという。非対称性が確保できるからだという。この3人のユニットの非対称性がどのように作品に反映されるのか。ポップな外見の下から不穏なものが見え隠れするにちがいない。

鎌田友介
鎌田友介 作品
「After the Destruction」2011

鎌田友介

インスタレーション
展覧会会期:2012年2月3日(金)~26日(日)

1984 神奈川生まれ
2011 東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程在籍

これまで数々の作家が作品を発表してきた歴史ある資生堂ギャラリーという空間で、発表ができる機会を頂き嬉しく思います。私は今回の展示で三次元の物質を二次元的に変換し、再びそれらを三次元空間に構成する事で、視覚認識における世界の統一性を崩すインスタレーションを展開します。一見ニュートラルでありながら複雑な資生堂ギャラリーの空間の中に自分の作品がどのように立ち上がってくるのか、そしてこの場所で作品を通してどのような対話が生まれるのか、とても楽しみにしています。

審査員評

岡部あおみ

東日本大震災の津波の光景がトラウマになったアーティストが大分いる。視覚表現を手掛けてきた者にとって想像を絶する衝撃であり、突然生命を断たれた大勢の人々や被災者の方々の無残な木霊が今でも響いているからだ。鎌田友介氏の2011年の京都でのインスタレーション「After the Destruction」は、即座にこうした災害などによる破壊の情景を喚起する。だが実際は震災以前に発想していた作品で、視覚的な類似性にむしろ自ら驚き、すぐに被災地を訪れたと聞く。
彼のテーマは次元の移行とパースペクティヴの歪みで、使用するアルミサッシやガラスなどのクールな素材のランダムな構築性からは、むしろ都会的シャープさ、SF的空間性、不確実なリアリティが伝わってくる。解体した100個の窓枠を宙に飛ばして蝶番などで連結、観客がくぐり抜けながらパースの歪みを体感できるという大胆な企画だが、ともかく課題は観客の安全性をいかに確保するかになりそうだ。まだ修士課程の学生である。

水沢勉

明快なコンセプトである。空間を多視点によって解体し、再構成する試み。絵画の約束事のひとつである「額/窓」が、それぞれ歪みをあたえられて、三次元空間に、作者の言葉を借りれば、「乱立」することになる。視覚優位の感覚は、そのもっとも有力な根拠である遠近法が相対化され、撹拌されることによって、危ういものとなり、わたしたちの感覚が日常とは別次元で励起されることになるはずだ。奥の部屋の壁面上にも歪んだ「額/窓」が、二次元空間に脱臼した複数の遠近法を孕みながらジグザグ状に連なる展示も予定されている。両者の対置が、透明な空間感覚の混乱を、絵画的でも、彫刻的でもない独自の展示状況のなかで、呼び覚ますことになるであろう。

入江早耶
入江早耶 作品
「カンノンダスト」2010
photo by 鹿田義彦

入江早耶

インスタレーション
展覧会会期:2012年3月2日(金)~25日(日)

1983 岡山生まれ
2009 広島市立大学大学院芸術学研究科博士前期課程修了

このような大きなチャンスをいただけてとても嬉しいです。
私は日常の生活で使われているような、見慣れたモノから作品を作っています。資生堂のギャラリーへ訪れていただいた方々の普段の生活に、少しの発見とハッピーを持って帰ってもらえるような展覧会にできればと考えています。

審査員評

岡部あおみ

ラウシェンバーグがデ・クーニングのドローイングを消す作品を制作したのは、入江早耶氏と同じ28歳の頃だ。その作品は先達の功績をタブララーサする前衛的かつラディカルな行為とみなされた。日本画の掛け軸や日用品の印刷を消す入江氏の場合は、視覚情報を消してひとまず匿名の物体に還元し、しかも環境を汚さずに、消しカスも再利用するのでリサイクルという現代のエコロジーも取り込んでいる。またゴムという素材の原料からの発想で靴底に恐竜が生まれ、ダイヤモンドと同成分の鉛筆の芯が輝く作品もある。完成品はみなミニマルながら秀逸で、レディーメードや既成事実をそのまま受容せずにすべてを変容させようとするパワーが見事だ。広島在住のせいか、原発災害は人ごとではなく、過酷な社会状況のさなかで小さなハッピーを見出す展示を提案している。これまでのグループ展では、ごく最小の作品を提出することで逆に際立った存在感を示してきたが、個展を開催するのは初めてではないだろうか。未経験の空間の規模をどうコントロールできるかが課題であろう。

水沢勉

「ごみ」というものは、本来的には、存在しない。人間との関係性において一方的に人間から名づけられ「ごみ」としての「見え」を獲得する。なにものかを付加しないと「ごみ」は「もの」のままであるというのは、人間が関わりをもった(もってしまった)世界の根本矛盾のひとつであろう。放射能は、本来、エネルギー資源の一部として機能すべきであったのに、それが付着したすべての事物を廃棄すべき汚染された「ごみ」に人間のミスによって変質させてしまったことは、その極端な事例である。入江早耶の制作には、根本に、こうした矛盾を突く、鋭敏な批評精神が存在する。捨てられる運命こそが、輝きの光源である。すり減る靴底にもなにものかが隠されている。ひそやかで、したたかで、さりげなくクール。

応募状況

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