第10回 shiseido art egg/審査結果

審査実施報告

資生堂ギャラリーは、1919年のオープン以来「新しい美の発見と創造」という考えのもと、100年近くにわたり活動を継続してきました。shiseido art egg (シセイドウ アートエッグ)は、その活動の一環として、新進アーティストの皆さんに、ギャラリーの門戸を広く開く公募制のプログラムです。
10回目を迎える本年は、全国各地より昨年を上回る370件の応募をいただきました。
今回は昨年同様、全体の80%を20代~30代の方の応募が占め、30代の方の応募が半数以上となりました。
ギャラリーの空間を生かした独創的なプランが多く提案されたなかで、独自の視点から世界を捉える感性を持つ川久保ジョイ、GABOMI.、七搦(ななからげ)綾乃の3名が入選となりました。

※ shiseido art eggは例年1月~3月に開催しておりますが、第10回shiseido art eggは2016年2月~4月の開催となります。

審査概要

応募受付 :  2015年6月1日~15日
応募総数 :  370件
審査員 :  岡部あおみ(美術評論家/資生堂ギャラリーアドバイザー)
水沢勉(神奈川県立近代美術館館長/資生堂ギャラリーアドバイザー)
資生堂 企業文化部

審査員所感

岡部あおみ(美術評論家/資生堂ギャラリーアドバイザー)

凝縮した2日間にわたるshiseido art eggの審査の翌朝、ヴェネチア・ビエンナーレを見る目的で飛行機に乗った。ビエンナーレの主会場では「All the World’s Futures」という展覧会が開催されていた。社会性のある国際展を手がけてきたナイジェリア出身のオクイ・エンヴェゾーの企画で、日本からは石田徹也が参加し、新鮮かつ刺激的な内容だった。ロボット化した無表情なサラリーマン風の人物が驚きの光景に登場する石田の絵画は、国内でも回顧展が続き高い評価を得ている。10年前に31歳で急逝した画家の深い精神性と画業を偲びつつ、時代を待たずに逝った画家が、もし今の日本を描いたらどんな作品になっただろうと想像した。

応募者がこれまで最多となる今回の審査の特徴は、20代の応募者が増えて平均年齢が低くなったことだ。まだ最終審査の俎上に載ったケースはないが、定年退職後、shiseido art eggに夢のデヴューを果たす人がいたら素敵だと思う。年齢とアーティストとしての成熟は必ずしも一致しない。子供の頃から明確な自意識を持つ人もいれば、さまざまな仕事を経てある日突然啓示を得て出発する人もいる。先の石田徹也は早熟で、つねに死を見つめて制作したからなのか、20代末なのに悲哀が滲む「晩年作」がある。若い応募者の中にも、現実の闇と自らの不安を重層させて制作する人達がいたが、もう一歩踏み込んで表現を練り上げたら、豊かな方法論が育まれてゆくように思えた。さらなる展開を期待したい。shiseido art eggの20代の参加者、七搦(ななからげ)綾乃氏の木彫には、生存の根源を正視するまなざしがあり、地味だがその根気強さが、素材に息を吹き込むように感じられた。

経験を積んだ30代以上のアーティストのプロポーザルは多岐にわたり、興味深い内容に富んでいた。とくに海外で滞在制作をした作家達は洗練されたコンセプトを身につけ、写真や映像を駆使するサイトスペシフィックなインスタレーションを展開している。さらに政治・社会の動向を反映したマニフェスト的インスタレーションなどの提案もあり、グローバルな広がりの中に蓄積された実力が実っている。最終的に参加者として残った川久保ジョイ氏とGABOMI.氏はともに写真をメディアにしている。他の応募者の中にも自然風景やポートレートなどをモチーフにするシャープで魅力的な写真作品があった。そして最後まで残ったユニークなプロポーザルは、アマチュア写真家が多い日本の現状を歴史や教育における影響から解き明かすプロジェクトで、今回も審査がかなり難航したことを記しておきたい。

水沢勉(神奈川県立近代美術館館長/資生堂ギャラリーアドバイザー)

近年の傾向として、特別な表現ジャンルが突出して時代をリードするという印象が希薄になっているように感じられる。

新進アーティストたちを支援するshiseido art eggの応募作品も、以前のような、流行のジャンルのような色分けが無効になってきた。すべては同列に、フラットに、凸凹があまり感じられないように現れ出ている。おそらくその背景には、すべてをデジタル化し、すぐに整理し、アーカイブ化してしまうメガデータの電子的な処理能力の急速な発展があるのだと思う。いままで先を争っていたのが、先頭の特権性は、データの比較によって相対化され、同じようなパターン認識によってその特異性は減衰してしまうのだ。

その結果、奇妙なことだが、むしろ伝統的な表現方法、古臭いとされて晴れ舞台から退いていた表現ジャンルが、新鮮なものとして「発見」されつつあるように思えるのである。これは一部のエリート主義的な現代美術の囲い込みの呪縛からの解放も意味している。

もちろん、芸術は、絶え間ない探求の連続であり、その姿勢が崩れたとき、日用品の一部になってしまう。たとえ、日用品のふりをしても、そこにしたたかに芸術的な操作を仕組まなければ芸術的表現たりえない。

しかし、その可能性が、ジャンルの流行のような日常性から離れることによって、かえって大きく広がっている。今回の審査を通じて、もっとも印象的な近年の特徴は、表現ジャンルの平準化であり、それが、かえって個々の表現の質がジャンルを超えて問われることになり、結果的に、その強度がよりいっそう高まるのではないかという期待感である。

今回選ばれた、インスタレーション、写真、彫刻の若い才能たちに対しても、そのような可能性を予感している。

入選者

川久保ジョイ
川久保ジョイ 作品
「When the mist takes off the suns」 2014

川久保ジョイ

インスタレーション
展覧会会期:2016年2月3日(水)~2月26日(金)

1979 トレド(スペイン)生まれ
2007 筑波大学大学院人間総合科学研究科博士課程中退
東京在住

この度、拙案が入選したことをとても光栄に思います。展覧会の前の期間は毎回、非常に集中的 (intensive) で強烈な(intense) 時間です。有限の宇宙のなかにある広い世界に顕在化する出来事や歴史、概念や言葉など、これらを結ぶ線を手繰りし、それでもって遠い闇路に出るような思いです。自分だけではなく一緒に入選されたお二人にとっても大きな挑戦になるのではないかと思います。精一杯頑張りたいと思っています。

審査員評

岡部あおみ

画家の父親をもち、1979年トレドで生まれた川久保ジョイは18歳までスペインで育った。英語も堪能、金融業界で一時トレーダーになり、旅を重ねたりしていたので、アートの世界ではまだフレッシュマンの勢いがある。放射線量が高い福島の地にフィルムを埋めてプリントした作品が、2014年のVOCA展で大原美術館賞を受賞するなど、急速に注目を浴びている。その福島の写真はイエローの背景にオレンジ色が中心から放射された、どこかマーク・ロスコの抽象絵画を想わせる色彩である。『千の太陽の光が一時に天空に輝きを放ったならば』というこの作品のタイトルは、ヒンドゥー教の聖典からの引用で、米国の物理学者オッペンハイマーが世界初の核実験の際に想起した言葉だという。叡智と絶滅、相反する光線の矛盾のさなかを人類は生き延びてきた。この代表作に象徴されるように、川久保は世界認識のツールとしての科学、宗教、文学、芸術など壮大な人類の歴史と自ら疑問に感じる身近な社会問題を同時に視野に入れ、写真のみならず、音響、ネオンなどさまざまなメディアを用いるインスタレーションも展開している。現実にはない事象を語る文学、あるいは幻想の美を描く絵画のように、写真も形而的光といった不可視の何かを写せるのか。3.11以降、川久保は自ら資金集めをして、日本のすべての原子力発電所の写真を撮るプロジェクト「The New Clear Age」を進めている。より良い未来を希求する精力的な探求と挑戦の成果を、shiseido art eggで垣間見られる日が待ち遠しい。

水沢勉

トレド生まれの川久保は、美術の世界に直接関わってきたわけではなく、金融関係のしごとに携わり、アート的な視点とは別の「世界」を観察し続けてきた。視覚だけに限局することのできない、世界のありようをイデオロギー的な直接の告発として表示するのではなく、冷静に提示することに成功しつつある。2011年の3.11以後、アーティストとしての活動を本格化させている。写真を重要な表現手段とするが、むしろ、表現対象そのものよりも、それを捉える作者の世界観の検証という性格を、インスタレーション的な総合的な展示によってますます帯びるようになり、そこから自身の世界観を抽出し、世界も新たな視点で発見することを促すことを試みている。今回の提案は、いうならばこれまでの総決算といえる意欲的なものである。原発事故以後の日本の現在をもっとも鋭く照射する作品になることが期待できる。

GABOMI.
GABOMI. 作品
「CHIMNEY」 2015

GABOMI.

写真
展覧会会期:2016年3月2日(水)~3月25日(金)

1978 高知生まれ
2008 独学で写真を開始
香川在住

それは唐突に。恋愛ホルモンとは別腹の、 グッと惹かれることや、ハッとする瞬間があり、それらは貴重なヒントです。見つかるたびに少しずつ世界が明らかになってくる気がします。シャッターを押したい唯一の動機はこれです。それとは別に、展示や発表というものは点と点を繋げていくことなのかなと思っています。そうやって記憶や妄想の先の、どうしても見ることができないものを、どうにかして見てみたいのかもしれません。

審査員評

岡部あおみ

ユニークな作家名の由来は、「がぼーん」という本人の口癖から友人が付けたあだ名だそうだ。写真家としてのデヴューは遅く、30歳頃までとくに興味もなかったらしい。故郷の高松で地域広告を掲載する雑誌の編集アシスタントをしていたが、たまたまレストランを撮影するプロの写真家が見つからず、上司にカメラを渡されて撮ってきたのが偶然、写真家になるきっかけとなった。審査時にこうした経歴は知らなかったが、提出された写真集やポストカード集がすべて未開封の新品で、公募展などへの応募未経験者ではないかと、微笑ましかった。
2011年に出版した香川県の私鉄「ことでん」の車輌工場をモチーフにした写真集を皮切りに、受賞や展覧会が増える。36歳とはいえ、まだ期待の新人なのだ。労働する人達を現場で生き生きと撮ったこの写真集には色彩豊かな暖かさが充溢していて感動的だ。彼女と同様、もと編集者だった都築響一の写真のようなストレートな味わいもあり、人と事物を撮れる天賦の才が現れている。
だがこうしたドキュメンタリーの方向とは180度異なる、いわば孤独な実験と思索の時間の積み重ねで構築された、オリジナルな技術によるシリーズも手がけている。それが「TELENS」という今回のプロポーザルで、手をレンズとして撮るという独特な手法だ。一切デジタル加工をしないという技法は謎だが、血液が透けた皮膚の質感が表れているかのようなピンクの画像をぜひ一度、実際に見てみたい。

水沢勉

破天荒な発想で写真の文脈を解体してしまうような意欲に溢れるアーティストである。写真は、外部世界と呼応することによって、イメージを捕獲し、それを選択し、洗練させ、安定した画像へと導く作業を、程度の差こそあれ、ほとんどの場合、多少含んでいる。この写真家も通常のストレートな写真も撮影するのだが、しかし、今回のGABOMI.の作品は、まったく非写真的というべき大胆な試みである。「手レンズ」シリーズ。ほとんど対象は、両手の隙間という不完全このうえない「レンズ」によって溶解し、本来性を剥奪された状態で記録され、プリントされる。作品名は、光の出処として「撮影地」が記される。そこに余計な作為を加えることはない。しかし、この不完全さは、結果的には、意外なほどに自然であり、光のしぐさを素直になぞっているような動きをはらんでいる。それらのイメージが縦1メートルを超える大判のプリントとして会場に並んだとき、わたしたちは、不思議な光の訪れを体験することになるであろう。

七搦綾乃
七搦綾乃 作品
「rainbows edge」 2015

七搦(ななからげ)綾乃

彫刻
展覧会会期:2016年3月30日(水)~4月22日(金)

1987 鹿児島生まれ
2011 広島市立大学大学院芸術学研究科博士前期課程修了
広島在住

この度は、このような機会を与えて頂き大変嬉しく思います。私は木彫で不可視な事物をモチーフに制作をしています。陽の光が届かない地下深くの場所で、私たちが普段見過ごしがちなものたちに遭遇できる空間を作りたいと思います。

審査員評

岡部あおみ

木彫で人物像を手がける舟越桂の見事な回顧展を兵庫県立美術館で見た(秋に群馬県立館林美術館に巡回)。木材の質感からもたらされる一体感を、海外での滞在経験を経て90年代以降、故意に壊すかのように金具やガラスなどの異質な素材を混在させ、身体を断片化、さらにスフィンクスという性の超越へと至る舟越の表現の軌跡に驚かされた。鹿児島で生まれ、今は広島在住の七搦綾乃の木彫のテーマは自然、とくにその時間と死だ。実際の小枝や枯れ木、ときには布などを用いて構築物を作り、素描を描き、それを木彫に仕上げる。表面には穏やかな連続性があり、インパクトや迫力が際立つ作品ではないが、眼をこらすと、どこか不思議で不穏な内破の亀裂が漏れてくる。それは死を内包する自然の、止めようのない生から死への進行音なのかもしれない。七搦のプロポーザルのタイトルは「rainbows edge」、山や枯れゆく草木などに感じる美しさを、在るのにたどりつけない虹の両端として詩的に例えた。普段見過ごしがちな、あるいは目には見えない美への気づきを作品で促すのが制作の動機だという。手の平にのる小さな山の木彫『枝の時間は山となる』を見たことがある。まるで生殖器を想わせる肉感的な襞の高まりで、素材は植物だが、動植物の境界が破られ、うごめいているような感覚に襲われた。知的かつ論理的カテゴリーを逸脱し、潮が満ちるように自然の側からヒタヒタと浸食が始まる。そんな時間感覚には、どこか怖さも潜んでいるようだ。

水沢勉

木彫によって、世界の断片性を意識させる独自のアプローチを試みている。対象は自己完結することなく、断片として世界のなかに転がっている。堂々たる記念碑性とは無縁の試みである。しかし、それは置物のような小世界であるわけではなく、あくまでもその断片性によって、そのかけがえなさを主張しようとする。つまり、それはむしろ広大な世界を、無辺の自然こそを、感じさせようとしているように思われる。そして、それは空間ばかりでなく、時間ともつながるものであり、年輪を刻む、カツラ、クスなどの組成にたいしてこのアーティストがとりわけ鋭敏であることの理由なのだ。自分の創作のかかわりは、その一部でしかない、それ以上にその周囲に広がっているはずの時空にこそ、この彫刻家の作品は捧げられているように感じられる。東京という大都市の地下空間である資生堂ギャラリーに、どのようにその生命の断片を仕掛けてくれるのか楽しみな才能である。

応募状況

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