第11回 shiseido art egg/審査結果

審査実施報告

資生堂ギャラリーは、1919年のオープン以来「新しい美の発見と創造」という考えのもと、100年近くにわたり活動を継続してきました。shiseido art egg (シセイドウ アートエッグ)は、その活動の一環として、新進アーティストの皆さんに、ギャラリーの門戸を広く開く公募制のプログラムです。

11回目を迎える本年は、全国各地より昨年を上回る279件の応募をいただきました。
今回は昨年同様、全体の約80%を20代~30代の方の応募が占め、30代の方の応募が半数以上となりました。

ギャラリーの空間を生かした独創的なプランが多く提案されたなかで、新鮮な感性でアートの領域を拡張しようとする沖潤子、菅亮平、吉田志穂の3名が入選となりました。

審査概要

応募受付 :  2016年11月1日~15日
応募総数 :  279件
審査員 :  岡部あおみ(美術評論家/資生堂ギャラリーアドバイザー)
水沢勉(神奈川県立近代美術館館長/資生堂ギャラリーアドバイザー)
資生堂 企業文化部

審査員所感

*コメントはポートフォリオ審査の時の情報に基づいています。

岡部あおみ(美術評論家/資生堂ギャラリーアドバイザー)

今年11回目を迎えたアートエッグは、応募や発表を半年ほど遅らせた。いつもと全く異なる時期の実施になったせいか、本年の応募数は、昨年に比較して幾分少なくなった。審査員としてはややほっとしたのだが、応募者のレベルが高く、最後まで議論を戦わす接戦となった。応募期間に資生堂ギャラリーで「そばにいる工芸」展が開催されていたためなのか、つねになく工芸分野の応募が多かったのが一つの特徴といえる。

3.11以後、社会的、あるいは政治的なアプローチで制作を行う作家が増えたことを実感する。なかにはストレートに被災地でインタヴューを行った作品もあり、終わらない状況への再認識を促された。さらにアフリカで始動している地熱エネルギーのあり方を取材し、エネルギー政策の現状を提起する映像作品、また人類学的な視点から島々の文化をリサーチし、それを立体的に映写する提案にも興味を抱いた。これらのリサーチ系の作品の場合、多くの写真作品と同様に、テーマや視点のとり方がいかに鋭利であっても、最終的に落とし込まれる映像はどうしても記録媒体の枠におさまりがちだ。であれば展覧会という空間表現よりも、映写や放映などのほうが適しているのかもしれず、最近は美術館に行っても、展示室が映画館化して暗い部屋が並んでいるような展覧会によく出会う。

今回、選出された3作品に共通するのは、従来の表現媒体自体への疑問から出発した作品といえるかもしれない。刺繍を手掛ける沖潤子の作品には、周辺的な位置で多くの女性が担い続けた、縫う、刺すといった行為を根源的に問いかける姿勢があり、若手の吉田志穂には写真を撮るという一回性の身体行為を多次元的に拡張し、コンセプチュアルな空間表現に転換しようとする意志が感じられる。空洞としてのホワイトキューブをモチーフとする菅亮平は、メタ言語的に自明な環境と接合させる方法で、逆に迷路的空間を創出する。

50代の沖潤子をアートエッグの候補者とみなせるかどうかにも論議が集中した。40歳ごろから独学で刺繍を始めた沖の応募案は、こうした場に不慣れだったからか、多数の若い作家たちの洗練された提案やポートフォリオなどとは違い、まるで原始的な力が荒れ狂っているような感触があった。

最後に選外となったが、強くひかれた絵画作品について追記したい。若して故人となった石田徹也の絵のような社会批判を含んだタイトルが付された具象絵画で、どこかとぼけたユーモアもある20代初めの女性の作品である。惜しくも選外になったが、こうした作家の方々が多数いるので、ぜひ次回も挑戦してほしい。

水沢勉(神奈川県立近代美術館館長/資生堂ギャラリーアドバイザー)

第11回shiseido art eggでは総数279件のなかから3人が選ばれた。以下、その数字についての思いを記し、また、今回の応募から透けてみえる時代状況についても簡単に触れて所感としたい。

まず「11」という数字について。

10年以上の歳月が、この若手の芸術家を育成するためのプログラムにすでに投入されたことになる。資生堂ギャラリーの空間を無償で提供し、スタッフが全面的に協力して、展覧会コンセプトの練り上げ、展示を協力し、そして、広報によるプロモーションを展開するというように、小さな美術館といっても過言でないレベルのキュレーションで才能を紹介しつづけてきた。この継続性の意義はやはり評価されるべきであろう。21世紀のメセナ活動のひとつのあり方を提示しえたのではなかろうか。

そして「279」という数字。

繰り返し応募したひともいるから、あくまで延べ人数ではあるが、2500名ほどの若手の芸術家たちがこのプログラムに挑戦し、その結果に注目し、そのうちのかなりの人数が発表を見届けてきたことになる。積み重ねられてきた成果が循環をもたらし、このプログラムに歴史的な性格をあたえることになった。

最後に「3」という数字。

これは、審査のたびにその結果が三つの「個展」として結実したことを意味する。一年ごとに三人のグループ展が一回開かれるのではなく、一回毎に選ばれたものがギャラリー空間を占有したのだ。これは公募展としてはきわめてユニークな試みというべきであろう。現代日本を代表する芸術家たちが「椿会」という名称でグループ展を重ねてきた会場を思い切ってひとりの芸術家が発表の場に委ねるという決断は、やはり英断であり、なによりも創作するひとにとっての励みとなった。事実、多くの才能がその真価を問われ、それをバネに大きく羽ばたいたと思う。

審査については、作品ファイルと、展示提案をもとに、判断するしか方法はないのだが、この10年のあいだに、その手際は急速に洗練されてきた。動画についても共通フォーマットがなかった頃は、拝見するにもたいへん手間取った。選ばれた芸術家たちは、ほぼ例外なく、その点でも優れていて、複雑な内容であっても、明快にそれを伝えることに成功していた。

わたしたちは、今後、ますますコミュニケーションの質そのものが問われる時代を生きることになると予想される。一方的な感情や意見の押しつけではなく、多様な他者をあらかじめ受け入れる態度から発して、自身の世界を表明し、ていねいに共感の輪を広げなくてはいけない。shiseido art eggというプログラムは、才能を発掘し、育てるために、思い込みの狭量さを捨てるための芸術のレッスンであることを改めて胸に刻みたい。

入選者

吉田志穂
吉田志穂 作品
「測量|山」2016年

吉田志穂

写真
展覧会会期:2017年6月2日(金)~6月25日(日)

1992 千葉県生まれ
2014 東京工芸大学芸術学部写真学科卒業
東京在住

この度、資生堂ギャラリーでの展示の機会を与えて頂いた事をとても光栄に思います。

私は自ら撮影した写真、インターネット上の画像などを使いそれらをデジタル、アナログと幾つかの行程を織り交ぜて制作をしています。

写真であれば、時間、距離、色、場所、重さ、大きさなどを変化させ、イメージと現実を合わせ、等しく、新たな風景に変えることができると考えています。

このギャラリーに見た事のない景色を見せられるような仕組みを作りたいと思います。

審査員評

岡部あおみ

写真と現実の距離感に悩み続けたためなのだろうか。吉田志穂は取材する場所をネットで調べ、実際に現地に赴いたときの風景の違いを写真に収め、さらにその画像を部屋の角に映写することで故意にゆがめてさらにそれを撮影したり、ネット画像の一部を拡大して再利用したりする。あくまでも撮る行為にこだわりつつも、それを無化する操作を続けることで、現実との距離感は消えてゆくのかもしれない。いわば絵画などの表現から自立したストレートフォトグラフィーの方法を多層化させ、またときには描線を書き入れたりする非ストレートな方法によって、到達するのはピクトリアリズム的な二次元空間を超えた、三次元の空間表現なのだ。写真で写真を超えようとする独特な世界。いくらでも複写可能な写真による一回性の空間表現という、シャープで不思議なインスタレーションが楽しみである。

水沢勉

写真を問う写真である。写真は「真」を写すわけではないことを吉田志穂はきわめてクールに認識している。

写真は、昭和初年には「光画」と呼ばれたこともあった。しかし、デジタル画像が氾濫する21世紀はじめの現在では「光」を「画」として定着させるのではなく、発光する状態でのモニターでカメラを捕捉したイメージを現象として体験することのほうが、むしろ日常になってしまった。

若い吉田志穂は、その現実に抗うのではなく、まずそれを受け入れ、現実と非現実の差異にことさらに神経を尖らせず、むしろ、その融解状態に自由を発見している。「風景」は限りなく可塑的になり、自在に模擬され、虚構としてほとんど自動的なほどの容易さで生成する。ならばそれをさらに解体した状態でインスタレーションする。そうすると「風景」は「光景」に転じるかもしれない。しかし、それは意外にも写真の原郷であるのではなかろうか…そんな問いを誘発しそうな未見の展示が期待できる。

沖潤子
沖潤子 作品
「midnight 」(部分)
2016
絹 木綿布
絹糸 木綿糸

沖潤子

インスタレーション(刺繍)
展覧会会期:2017年6月30日(金)~7月23日(日)

1963 埼玉県生まれ
セツモードセミナー卒業
2002 企画会社勤務を経たのち、自己流の刺繍を始める
鎌倉市在住

このたび資生堂ギャラリーという場で発表の機会をいただけることを心より嬉しく思っています。色々なことをしてきましたが、今は無数に重ねた針目の集積が私にできるただ一つの仕事だと思っています。大きな舞台を前にどれだけ自分をほり返し、たぐり寄せることができるか新たな挑みが始まりました。どのような風景に出会うことができるか、とても楽しみにしています。

審査員評

岡部あおみ

たまたま昨年夏、金沢21世紀美術館で沖潤子の刺繍作品を見る機会があった。壁面にかけられた小さな作品に繰り返し刺された糸が、果てしのない時間の堆積を感じさせた。まるでキリストの聖遺物でも見たかのような強烈な印象を受けた。アートや工芸という言葉ではとらえきれない、生や死の概念にかかわる何かが伝わったからなのだろう。しかも表面的な美しい死ではない。生きたすべての者が秘める、ぬぐい切れない死の凄惨さであり、であるがゆえの聖性である。沖の今回の提案は蛹。溶ける幼虫と成虫の境界にある転生だ。透明感のあるデジタル社会の進展が、逆に現代アートの世界ではアーカイックな身体性への回帰をもたらしている。それがなぜなのか、沖の作品から、何らかの手がかりが得られるかもしれない。

水沢勉

「月と蛹」という主題がまず魅力的である。

きわめて個人的な、失われた生命の円環の回復への憧れが背景にあるものと思われる。しかし、多くの他者との共同作業として作品を生みだしたいというコラボレーションの要素も周到に組み込まれている。また、ギャラリー空間全体を貯水庫と感じ取り、ほぼすべてが、自己も他者も、いったん融解してしまうという蛹の内部へといままでの刺繍表現のすべてを投入しようとする大胆な挑戦でもある。死と再生の物語。それを見つめる月は、太陰暦の時間を刻むはずである。

すでに十分に実積のある表現者であるが、根源的な問いが託された新作の提案である。瑞々しい感性の発露が期待できる。

円熟と精神の若さが混成されて、従来の現代美術の知的なスマートさに留まらず、また、近年注目を集めている生活と近接しつつある工芸の枠をも大きく越える試みとなることが期待できる。制作の一部ばかりでなく、鑑賞行為も、複数の他者との濃密な交流と接触を前提としている点も、身体感覚の全的な回復への作者の強い熱い希求を感じさせる。

菅亮平
撮影:金川晋吾
菅亮平 作品
White Cube -18 |2015-2016

菅亮平

インスタレーション
展覧会会期:2017年7月28日(金)~8月20日(日)

1983 愛媛県生まれ
2016 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻博士後期課程修了
ミュンヘン/東京在住

この度shiseido art eggに選出されたことを光栄に思います。資生堂ギャラリーには今まで何度も訪れ、その空間のポテンシャルが最大限に引き出された、多くの優れたアーティストの仕事を観てきました。そしてここ数年間にわたって、作品を展示・鑑賞するための空間である「ホワイトキューブ」を制作のテーマとしてきた自分にとっても、資生堂ギャラリーの展示空間は多くのインスピレーションに満ちています。胸を借りるつもりで、アイデアの一つ一つをこの空間にぶつけながら展覧会をつくり上げたいと考えています。

審査員評

岡部あおみ

全世界的に拡大する美術館の展示室、そのホワイトキューブの現存と偏在を菅亮平のインスタレーションは提示する。だがたんに再現し、反復して示すというだけであれば、建築的プレゼンテーションで終わってしまう。モダニズムの形成とともに生成したホワイトキューブの持つ意味を、作品や観衆が不在であることの空洞性だけに還元してしまっていいのだろうか。西洋的近代性と密接にかかわる存在自体へのまなざしや批評性が、あくなき収集の欲望のさ中に見失われてはならないだろう。ホワイトキューブの提示の背後にあるのが、持続の肯定と称賛なのか、批評と逸脱への気配なのか、それは作者だけではなく、見る者の立ち位置にもかかわる提起に違いない。

水沢勉

「ホワイトキューブ」を主題化するインスタレーション。

「絵画」は「絵画」を「絵画」として説明することができない。その限界を「画中画」や「文字」といった多層化や異物の混入によって揺さぶろうと懸命に試みてきた。その歪みの緊張からモダニズムは生まれた。そして、それが「絵画」の破綻でもあるインスタレーションへと展開をおのずと導いたとするなら、そのプロセスを受け入れてきたモダニズムの空間そのものである「ホワイトキューブ」を表現によって相対化できないかという野心的な提案である。デカルト的空間の無限延長も含めて、そのいっさいを全的に形而上的に問えないかという挑戦である。映像や模型や画像によって会場全体に「空虚の迷宮」が出現する。おそらくきわめて「美しい」はずだ。しかし、目的は「美」ではない…そこに可能性を感じる。

雄弁な沈黙といってもよいかもしれない。矛盾の状態を耐え抜く覚悟が感じられる。

単純な感覚のスペクタクルに終わらない省察を秘めている。大いに期待を抱かせる提案であった。

応募状況

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