ギャラリーのご紹介

資生堂ギャラリーは1919年にオープンした、現存する日本で最古の画廊といわれています。途中、震災や戦争、建物の改築による中断を除き、「新しい美の発見と創造」を活動理念として、今日まで一貫して非営利の活動を続けてきました。これまでに開催した展覧会は3,100回以上、資生堂ギャラリーをデビューの場として、後に日本美術史に大きな足跡を残した作家も数多くいます。
1990年代からは、現代美術に主軸を定め、前衛性と純粋性を兼ね備えた同時代の表現を積極的に紹介しています。
2001年には、「東京銀座資生堂ビル」の地下1階にリニューアルオープンしました。 5mを超える天井高をもつ銀座地区で最大級の空間は、様ざまな表現を可能にする場として、海外の作家からも注目を集めています。

資生堂ギャラリーの歴史

1919年(大正8年)
12月13日 福原信三により、竹川町11番地(現銀座7−8−10)の化粧品部2階に「陳列場(のちの資生堂ギャラリー)」を開設。

福原信三
福原信三
創業者 福原有信の三男で、のちの資生堂初代社長
1919年暮(または1920年1月)開設直後の陳列場にて
1919年暮(または1920年1月)開設直後の陳列場にて
前列右から小村雪岱、福原信辰(路草)、中列右から井汲清治、福原信三、水木京太、川島理一郎、後列右から福原信義、末川清香、石井誠。 後に川島は「椿会」に参加。
資生堂化粧品部
資生堂化粧品部
1916年辰野金吾(辰野葛西事務所)が改築設計、煉瓦造3階建・一部鉄筋コンクリート。1923年関東大震災で被災。1926年本建築着工のため取り壊された。

1923 年(大正12年)
9月1日関東大震災で資生堂は壊滅的な被害を受けるが、直ちに復興に立ち上がり、11月には焼け残った煉瓦の外壁を利用したバラックの仮設ギャラリーで活動を再開。

1924年(大正13年)
「資生堂美術部」と改称。

1926年(大正15年)
震災復興の本建築着工に備え、宮澤工作所銀座店2階に資生堂美術部を移設。

1928年(昭和3年)
5月 竹川町11番地に資生堂化粧品部竣工(前田健二郎設計)。2階に「資生堂ギャラリー」の名称で、本格的なギャラリースペースとして活動を開始(後に3階ホールも使用)。年に数回の主催展を中心に個展やグループ展を開催。
「椿会」の母体ともいえる梅原龍三郎、川島理一郎ら洋画壇の大家による「第1回資生堂美術展覽會」を開催(~1931年)。

資生堂化粧品部
資生堂化粧品部
1928年竣工、前田健二郎設計、鉄筋コンクリート造地下1階地上3階建(一部4階建)。2階に本格的なギャラリーを設けた。1973年資生堂ザ・ギンザビル建設のため取り壊された。
前田健二郎設計の化粧品部2階
1934年当時 前田健二郎設計の化粧品部2階
資生堂ギャラリー階段手摺とステンドグラス
資生堂ギャラリー階段手摺とステンドグラス

1932年(昭和7年)
山本丘人、須田國太郎が初個展を開催するなど、新進作家たちの活発な発表が続く。

1933年4月「精光會第1回展」
1933年4月「精光會第1回展」
前列右より安井曾太郎、小林古径、梅原龍三郎、後列右より後藤眞太郎、一人おいて安田靫彦、高村光太郎、土田麦僊。後藤が主催した「精光会展」は戦前の資生堂における最も評判の高かった展覧会である。
創立会員は写真の6人に坂本繁二郎、佐野朝山を加えた8人。1954年まで資生堂でしばしば開催された。後に安井、小林、梅原、安田、坂本が「椿会」に参加。
1937年4月「六色會工藝展」
1937年4月「六色會工藝展」
右から海野建夫、吉田醇一郎、宮之原謙、香取正彦、各務鑛三、田村泰二、板谷梅樹。
旧帝展系工芸の新人グループ「六色会」を結成した7人が金工、陶芸、ガラス、モザイク作品を出品した。
宮之原謙日記に「四月十五日 晴、曇、雨 六色会初日 非常なる盛会であった 会員大喜び 小生としてはとてもやり甲斐があった。(中略)細川侯に初めて会ふ 香炉一点売り上げる」とあるように、資生堂での展覧会は若い無名作家たちが上流階級の顧客に巡り会える貴重な空間であった。

1939年(昭和14年)
時局が戦時体制へと傾く中、若い作家たちによる群小グループが続々と生まれる。開催展覧会が激増(この年72回、1940年82回、1941年85回、1942年96回、1943年90回、1944年80回)。

1940年12月「第1回日本エッチング展覧会」
1940年12月「第1回日本エッチング展覧会」
右から一人おいて曽我尾武治、田邊至、佐々木孔、西田武雄、今純三、一人おいて駒井哲郎、笠木実、大田耕士、松田義之。
駒井は当時20歳の美術学校生、のち1953年に資生堂で初個展を開催。

1941年(昭和16年)
太平洋戦争開戦、軍需産業でない資生堂の経営は困難を増す。
他の画廊が次々と閉鎖する中、約270回の展覧会を開催し、敗戦の8ヶ月前までギャラリーの灯を点し続ける。

1941年7月「一采社第1回展」
1941年7月「一采社第1回展」
右から髙山辰雄、浦田正夫、岡田昇、野島青磁。
1938年に解散した若手日本画の瑠爽画社メンバーの4人が再び発表の場を持つために一采社を結成した。髙山はその後「椿会」に参加。
1941年10月「小村雪岱遺作展覽會」
右から田坂柏雲、戸板康二、山本武夫、三人おいて小村八重(雪岱夫人)、一人おいて里見弴、久保田万太郎、島源四郎。
雪岱は本名・安並泰輔、1918~23年まで資生堂意匠部(現宣伝制作部)に在籍、信三のもとでポスターや広告制作で活躍した。挿絵や舞台美術で一家をなしたが41年死去。資生堂で遺作展が開かれた。

1943年(昭和18年)
「資生堂画廊」と改称。

1944年(昭和19年)
12月、戦争激化に伴い、資生堂画廊を閉鎖。

1947年(昭和22年)
5月、「資生堂ギャラリー」の名称でギャラリー活動を再開。横山大観、杉山寧、梅原龍三郎、安井曾太郎、藤田嗣治らによる「第一次椿会」スタート(~1954年)。

1950年(昭和25年)
「第1回檀会洋画展」開催(~1968年)。
「椿会」が画壇のトップクラスによる編成だったのに対し、脇田和、山口薫、牛島憲之、川端実らによる編成で今泉篤男が企画。

1963年(昭和38年)
資生堂化粧品部3階にギャラリーを新装オープン。ギャラリーアドバイザーとして外部から今泉篤男と谷口吉郎を招聘。徳岡神泉、梅原龍三郎らによる「第二次椿会」スタート(~1966年)。
柳原義達、木内克ら高村光太郎賞の受賞者と選考委員による「第1回連翹会展」を開催(~1968年)。

1964年2月「作家のアトリエシリーズ(1)岡鹿之助のアトリエ」
1964年2月「作家のアトリエシリーズ(1)岡鹿之助のアトリエ」
一番左が岡鹿之助。岡は「椿会」に参加。
「作家のアトリエシリーズ」は1975年の「小野竹喬の画室」まで15回開催された。
1964年3月「作家のアトリエシリーズ(2)杉山寧のアトリエ」
1964年3月「作家のアトリエシリーズ(2)杉山寧のアトリエ」
一番左が杉山寧。杉山は「椿会」に参加。

1971年(昭和46年)
資生堂ザ・ギンザビル建設のため、一時休廊。

1974年(昭和49年)
資生堂パーラービル9階にギャラリーを新装開廊、奥村土牛、岡鹿之助らによる「第三次椿会」スタート(~1990年)。

1962年資生堂会館のちの資生堂パーラービル
1962年資生堂会館のちの資生堂パーラービル(銀座8−8−3)竣工、谷口吉郎設計、鉄筋コンクリート造地下1階地上9階建。1973年に全面改装。1997年東京銀座資生堂ビル建設のため取り壊された。

1975年(昭和50年)
12月、八木一夫、加守田章二らによる「現代工藝展」スタート。ギャラリーの企画展の柱となり、1995年まで20回開催。

1975年資生堂ザ・ギンザビル竣工
1975年資生堂ザ・ギンザビル竣工(銀座7−8−10)、芦原義信設計、鉄筋コンクリート造地下2階地上8階建。5階にザ・ギンザホール開設。資生堂主催の企画展を不定期で開催。1985年地下1階にザ・ギンザアートスペースを開設し、ギャラリーと併行してアウトサイダーアートやサブカルチャーなどの企画展を常時開催(~2000年)。
1978年資生堂アートハウス開館
1978年資生堂アートハウス開館(静岡県掛川市)、高宮真介・谷口吉生設計、鉄骨造・一部鉄筋コンクリート造2階建。資生堂が所蔵する美術品、広告宣伝資料などを保存、公開。1979年日本建築学会賞作品賞受賞。

1990年(平成2年)
企業文化部創設。

1991年(平成3年)
〈資生堂ギャラリーとそのアーティスト達〉の第1回展として「没後15年銅版画の詩人 駒井哲郎回顧展」開催(~1995年)。

1992年(平成4年)
9月〈海外新進日本人作家紹介展〉スタート。フランスのカルティエ現代美術財団の協力を得て、海外在住の日本人アーティストを紹介する企画。森万里子、ジュン・グエン=ハツシバなどの個展を開催(~1995年まで計8回)。

1992年資生堂企業資料館開館
1992年資生堂企業資料館開館(静岡県掛川市)。資生堂の商品や宣伝制作物をはじめとする様々な資料を一元的に収集・保存し、収蔵品の一部を展示公開。

1993年(平成5年)
5月、堀内正和、野見山暁治らによる「第四次椿会」スタート(~1997年)。

1994年(平成6年)
1月、東アジア現代美術展「亜細亜散歩」開催。蔡國強、呉瑪悧、文洲、Ideal Copyが参加。

1995年(平成7年)
『資生堂ギャラリー75年史 1919~1994』を刊行。

1997年(平成9年)
1~3月、第2回亜細亜散歩開催。蔡國強、黄永砅、ソー・ドホ、キム・ボム、曽根裕、周鉄海、チェ・ジョンファが参加。
6月、東京銀座資生堂ビル建設のため一時休廊。

2001年(平成13年)
辰野登恵子、青木野枝らによる「第五次椿会」スタート(~2005年)。
8月、第3回亜細亜散歩開催。鄭栖英、朱嘉樺、細馬篤、黄鋭、榮榮が参加。

2001年東京銀座資生堂ビル
2001年東京銀座資生堂ビル竣工(銀座8−8−3)、リカルド・ボフィル設計、地下1階にギャラリーを新装開廊。
2004年 ハウス オブ シセイドウ(並木通り本社ビル)開館
2004年 ハウス オブ シセイドウ(並木通り本社ビル)開館。
ハウス オブ シセイドウは、資生堂本社ビルの建て替えに伴い、2011年3月31日(木)をもって閉館。

2006年(平成18年)
公募展shiseido art eggスタート。

2007年(平成19年)
椿会60周年を迎え、新たに伊庭靖子、塩田千春、祐成政徳、袴田京太朗、丸山直文、やなぎみわによる「第六次椿会」スタート(~2010年)。
企業メセナ協議会が主催する「メセナアワード2007」において、資生堂ギャラリーの運営を評価され、「メセナ大賞」を受賞。

2009年(平成21年)
開廊90周年。

90周年を記念して、「アートが生みだす力」をテーマにした特別対談を開催。

  • ●「創作の原点」舟越桂(彫刻家)×天児牛大(舞踏家)
  • ●「写真と映像」川内倫子(写真家)×束芋(アーティスト)
  • ●「アジアと現代美術」エルヴェ・シャンデス(カルティエ現代美術財団ディレクター)×フェイ・ダウェイ(インディペンデント・キュレーター)
  • ●「建築の可能性」石上純也(建築家)×山田章一(物理学学者)、モデレーター:五十嵐太郎(建築家・建築史家)

2013年(平成25年)
赤瀬川原平、畠山直哉、内藤礼、伊藤存、青木陵子らによる「第7次椿会」スタート(〜2017年)。2015年~椿会初となるダンスの分野から島地保武が参加。

2014年(平成26年)
企業メセナ協議会が主催する「メセナアワード2014」において、「椿会」の開催と資生堂ギャラリー、資生堂アートハウスを評価され、「華のアート賞」を受賞。

2016年(平成28年)
資生堂が芸術文化に積極的に関わる企業を表彰するイタリアの「CORPORATE ART AWARDS® 2016」において第 3 位に入賞。
shiseido art egg 10周年。

2017年(平成29年)
椿会70周年。