第8回 shiseido art egg/審査結果

審査実施報告

資生堂ギャラリーは、1919年のオープン以来「新しい美の発見と創造」という考えのもと、90年以上活動を継続してきました。shiseido art egg (シセイドウ アートエッグ)は、新進アーティストの皆さんに、ギャラリーの門戸を広く開く公募制のプログラムです。
8回目を迎える本年は、全国各地より昨年を上回る324件の応募をいただきました。
今回は20代~30代の方の応募が全体の80%を占め、30代の方の応募が目立ちました。
そのなかで、長時間に及ぶ審査の結果、既製のジャンルに対して柔軟な発想で挑んでいる加納俊輔、今井俊介、古橋まどかの3名が入選となりました。

審査概要

応募受付 :  2013年6月1日~15日
応募総数 :  324件
審査員 :  岡部あおみ(美術評論家/資生堂ギャラリーアドバイザー)
水沢勉(神奈川県立近代美術館館長/資生堂ギャラリーアドバイザー)
資生堂 企業文化部

審査員所感

岡部あおみ(美術評論家/資生堂ギャラリーアドバイザー)

art eggの応募数には毎年それほどの変化はない。だがその約90-80%が新規の応募だから、なぜ毎回ほぼ同じ規模になるのか不思議だ。逆の例もある。たとえばある国際公募展のアート部門が去年急に2倍近くのエントリーとなり、それまでの審査方法では対処が難しくなった。公募の実績は通常、数で図られるが、応募数が一定しているart eggは、むしろ初回の新鮮さとレベルを維持している稀な企画だといえるのかもしれない。
こんな話を持ち出したのは、じつは公募は数では測れない、ということを実感したためだ。今回の応募者の多くが展示のプロポーザルもとてもよく練れていて、読み込むのが楽しかった。エントリーの水準はかつてないほど高く、嬉しい悲鳴とともに、私にとっても大いなる挑戦であった。つまり今年度落選した方々にまずお伝えしたいのは、諦めずにぜひまた応募していただきたいという一言である。もちろん約100倍近い過酷な選抜になるので、新規に何人か強豪が参入したら再び激戦となるだろうが、時期的なチャンスもあり、何度目かの応募で通った人は多い。
前回のart eggの総評で、国際的な美術のあり方に比べると日本では裁断化されたさまざまな既存のルールに無意識にとらわれて自由を失っている人が多いのではないかと疑問を呈した。今回art eggに残った三者は、写真、絵画、ファウンド・オブジェのインスタレーションといった従来のジャンルに対してある種の越境をもくろみ、勇気ある再組織化への道を歩むことを選んだ人たちである。そして共通しているのは芸術の構造へのつきせぬ問題提起であり、不確定ゆえの周到な概念化だ。三人の個展は明解な表層の要素と重厚な深層のコンセプトの距離が織りなす、未知の触感を湛えた世界への胸躍る招待となるだろう。

水沢勉(神奈川県立近代美術館館長/資生堂ギャラリーアドバイザー)

グローバリゼーションは多くの喪失を伴っていたのではなかろうか。その勢いは、ほとんど暴力的といってさしつかえないものであったと思う。
先日、ある保存修復の関係者から、現代中国では良質の膠(にかわ)を製造できる生産者が、この10年でほとんどいなくなったと聞いて、わたしは、一瞬自分の耳を疑った。日本製の「和膠」も生産という点では危機的状況にあるという。何千年という歴史文化を誇る中国の造形美術のきわめて重要な一角を担っている画材がなくなろうとしている。まさしく中国語の「全球化」(=グローバリゼーション)のスケールで展開する中国型資本主義の巨大なマーケットからみればひとつの伝統的画材の消失は、ちいさな泡沫が消えた程度の出来事なのかもしれない。
しかし、芸術の霊感は、その泡沫のほうにこそ宿っているというのは、皮肉な芸術の逆説である。
第8回を迎えるアートエッグの応募作品のファイルを繰りながら、わたしが気にしたのは、そのような逆転の発想、希少性こそを価値の発条にする洞察力の所在であった。瑣末に偏することなく、ミクロコスモスをマクロコスモスへと反転させる機略こそをわたしは若い世代に期待したのである。
選ばれた3人はいずれも鮮やかなその発想の冴えによって印象に刻まれる才能の持ち主である。加納俊輔さんは写真を素材に、その物体としての存在を立体化することで確かめながら、そこに潜在する時間の諸相も意識化させようとする。今井俊介さんは、すでに画家としての経験値の高いアーティストであるが、あえて絵画の原点に立ち返り、色彩と形態によって、結局、絵画でしか確認できないものをつかもうとしている。古橋まどかさんは、日常のオブジェによって、彫刻的な状態を繊細につむぎだす。そのとき日常性をあえて捨てない点に独特の冴えた感覚が漲っている。それぞれ他を押しのけようとして鎬を削るのではなく、自分たちもまた個別の泡沫であってよいと淡々と覚悟しているように感じられる。その個性のあり方を評価したい。

入選者

加納俊輔
加納俊輔 作品
「layer of my labor_40」2012

加納俊輔

写真
展覧会会期:2014年1月10日(金)~2月2日(日)

1983 大阪生まれ
2010 京都嵯峨芸術大学大学院芸術研究科修了

サッカーをやっていた頃、試合が始まる前にはよく相手のゴールを見るようにしていました。たまにその相手のゴールがとても大きく見えることがあり、そんな時はすこぶる調子が良く、かたや自陣のゴールが大きく見えてしまう時は調子が悪いなんてことがありました。
そんな風に今日の試合の行方を占うかのように相手ゴールと自陣のゴールを眺めていたように覚えています。
展示がきまってから行った資生堂ギャラリーは以前よりとても大きく見えました。
ギャラリーはアーティストにとって攻めるべき場所なのか、いやはや自分の空間として守るべき場所なのか。
とにかく頑張りたいと思います。

審査員評

岡部あおみ

京都のギャラリーのグループ展に出品された加納俊輔さんの作品を見て興味を惹かれた。イメ-ジを超えて写真がむしろ物質性を獲得していたからだ。醸し出された隙のない物体感はプレシャスで、工芸のごとく精緻であった。とはいえ一目で写真だとわかり、そこに錯視やアナモルフォーズの企てはない。正しく写し取るという写真本来の姿を繰り返すことで(絵画の重ね塗りのようでもあるが)、写真が1回性の行為の帰結だという常識を破る。撮影を脱神話化しつつ2次元から3次元の支持体への転換を経て、重層する被写体のレイヤーのはざまにカメラのあり方とCプリントの位置を脱構築する。写真=絵画=彫刻をめざす作家の洒脱な作法を通して、清新な時空間が立ち現れる。

水沢勉

物体としての写真がわたしたちの感覚になにを惹起させるのか —— その問いをめぐって、この若い才能は制作を試みている。その手法は、かなり手の込んだものであり、多様であるが、探求の姿勢はいつでも一貫している。写真は、そのイメージの鮮やかさゆえに、どうしてもその写されたイメージそのものに囚われてしまう。構図法や、明暗法や、プリントの仕上げのテキスチュアや、額装の仕方や、さまざまな点で絵画に負けまいとどこかで気張ってしまうのだ。加納俊輔さんは、コロンブスの卵ではないが、写真そのものの物体性を、たとえば、支持体との関係を、通常のものからはズラすことによって、鮮明に意識の俎上に乗せるのである。それは、コンセプチャルな行為であるのだが、そこには驚きが生れ、その結果、視覚体験が刷新され、わたしたちを写真のいまだに踏査されていない未知の領域へと導くと同時に、造形をめぐる問いの根幹をも意識させるように働くのではないかと期待される。

今井俊介
今井俊介 作品
「untitled」2012

今井俊介

絵画
展覧会会期:2014年2月7日(金)~3月2日(日)

1978 福井生まれ
2004 武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了

shiseido art eggでは久しぶりの絵画の入選を嬉しく思っています。絵画を見せるにはなかなか難しい空間だとは思いますが、どのような場所でもできることをしっかりとやるだけだと思っています。そこに立ち現れる新たな一歩に出会えることを僕自身が楽しみにしています。

審査員評

岡部あおみ

学生時代から今井俊介さんは美しく明快な色彩で、少女趣味ではないポルノグラフィックでコアな女性の肢体を扱ってきた。フェミニズムを許容する成熟した社会においては、時代錯誤ともとらえられがちなテーマである。絵画という神聖化されたメディウム上でのタブーともいえる主題は刺激的な形態として見る欲望に直結する。だがその強度を色彩の斬新な力学で均衡させ、絵画として成立させる危うい抵抗の論理を展開してきた。やがて物語性を剥奪する工程で人体は消え、多様なストライプがひしめく抽象画面が現れる。それは天空から眺める地上の敷物とそれを遮断する旗のようでもあり、鑑賞者の視点を惑乱させつつ、脳に風を吹き込み、稀有な視覚体験をもたらせるだろう。

水沢勉

画家として正面から絵画に正対している。当然といえば当然の姿勢であるが、あまりにも絵画を取り巻く状況は不安定で、つい無用な複雑さや、迷った末に居直りの単純さという両極端の罠にはまりがちである。この画家もまた絵画によって空間を領略しようという野望も持たなかったわけではないと推測されるが、今回の展示案では、インスタレーションの誘惑を断ち切り、再現性や物語性も破棄して、天晴れというべき潔さで、絵画の色とかたちに還元されたものが主役として際立つようにすべてが整理されている。しかし、それらは決して単純なものではなく、ドローイングや、小さな彫刻との往還運動が仕掛けられたものであり、それが結果として、色彩やかたちの瑞々しさをよりいっそう引き立てるように周到に仕掛けられている。フォーマリスティックな抑制が、それらの絵画の基本要素を、あらためて賦活してくれる可能性を宿したプロポーザルであり、めざましい空間が生れることが期待できる。

古橋まどか
古橋まどか 作品
「Obelisk III (You Don't Know What You Are Looking At When You Are Looking At It)」2013

古橋まどか

ミクストメディア
展覧会会期:2014年3月7日(金)~30日(日)

1983 長野生まれ
2013 ロイヤル・カレッジ・オブ・アート美術修士課程修了

この度は、アーティストとして活動をはじめたばかりの私に、初めての個展となるすばらしい機会を、資生堂ギャラリーより頂戴し、感謝しております。
会期を来年に控え、今、古くなったり、使われなくなったり、壊れたりして、一度は不必要とされたものの、捨てられないままに保管されてきた、かつての日用品を用い、作品を制作しています。それらを美術品にみたてることで、芸術とは何かと問うことができれば、と考えています。

審査員評

岡部あおみ

デュシャンが20世紀初頭に小便器を作品として提出して以来、アートは命名性と場所性のサイトスペシフィックな交差点でつねに領土を拡大してきた。英国で建築を学び、批評家やキュレーターとして活動してきた古橋まどかさんのアーティスト・キャリアはまだ1年ほどでしかない。そのデヴュー作ともいえるのが、ロンドンの古い賃貸住宅に何世代にもわたって残された匿名のオブジェをホワイト・キューブに提示し、空間と作品の共犯が呼び起こす芸術性を問う行為だった。根本的なアートの構造に真正面から向き合うクールな姿勢と単純さに秘められた磨かれたセンスに驚かされた。帰国後の日本における初個展art eggで、彼女のもつ独特なクオリアが一体何を引き起こすのか、スリリングな展示になりそうだ。

水沢勉

研ぎ澄まされた感覚の持ち主である。自身がロンドンで住んでいた家にあった、かつての住人たちが残していった壊れかけの家具や雑々たる物品を、展示というコンテキストで、配置しなおし、芸術化してしまう。もちろん、そこには、なにが芸術を成立させるかという問いがセットになっている。この問いが重要な作品の構成要素であり、シュルレアリストの好むような驚異的な体験からは本質的に遠く、むしろ、日常に近いほど、この問いはより鮮度を増すことになる。しかし、それでもなお、どうしても美しい状況を発見してしまうまなざしが、この才能には備わっていて、みごとにそれらを撮影し、プリントするという展開にもなっている。なにかはぐらかされたような印象が余韻のように残るが、そこには心地よい惑いがあって、しかも、そこに執着しすぎない身軽さがそなわっている。洗練されたその手腕がどのように資生堂ギャラリーのなかに発揮されるのか。楽しみな展示である。

応募状況

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